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オススメ本「やっぱり、それでいい。」

人の話が聞けない。

聞こうと努力はする。
夫は「なんか」という言葉を音節ごとに使うので、それが気になって話が頭に入ってこない。結論までの話がやたら長くて、こっちで勝手に結論を見つけて「こうでしょ?」って先に言いたくなる。予想した結論はだいたい外れてて、それがケンカの火種になることはしょっちゅう。

友人から仕事の武勇伝を聞けば「私はそんなに結果を出せてなくてダメだなあ」と落ち込む。プライベートで大きな困りごとがあるという友人の話を聞けば「友達なのに、なんともしてあげられなくてごめん」と申し訳なく、その場から早々に立ち去りたくなる。

相談事を持ちかけられると、的を射たアドバイスをしなくちゃと焦るばかりで、肝心の話が頭に入らない。案の定、気の利いたコメントを返すことはできなくて相手をがっかりさせてしまう。 

その上、元来おしゃべりな性格のものだから、相手に話す隙を与えないほどのマシンガントークを繰り広げ、後で冷静になって「なんであんなに一方的にしゃべっちゃったかなあ」って反省しきり。

ベストセラーになった阿川佐和子の「聞く力」も買って読んでみた。
確かいい質問をすることが大事だと書いてあった。
早速、相手にちょうどいい速さと大きさの質問のボールを投げようとするけれど、質問を投げるどころか、そもそも思い浮かびもしなかった。

会話のキャッチボールなんて、私にはあまりにハードルが高すぎる。
人と話すたびに、嫌われただろうな、楽しくなかっただろうなと落ち込む。
ちゃんと聞こうと身構えすぎると、とても疲れるので、次第に人と関わるのが面倒になってくる。

友人にとても聞き上手の人がいる。
私のなんのオチもない、くだらない話を、笑って「うんうん」と何時間でも聞いてくれる。
こちらから質問しないと、自分のことをほとんど話さず、ずっと聞き役に徹してくれる。つい、他の人に言わないような深い話をしたくなる。聞いてもらいたくなる。

仕事に行き詰まって辛いという愚痴や、自慢になるような嬉しい話を、大変だね、よかったねと、ただただ静かに聞いてくれるから、安心して何でも話せるのだ。
何か話したいことができると、真っ先に話を聞いてもらいたくて、ついつい会いに行ってしまう。
あまり仕事の邪魔をするといけないので、そこをぐっと我慢している今日このごろ。

自分も、その友人のように、どんな話も心の波風を立てることなく、いくらでも聞けたらいいのになあって思っていた。

昨日、1冊の本と出会った。
タイトルは「やっぱり、それでいい」

書いたのは、「ツレがうつになりまして」でヒットした漫画家、細川貂々さん。
彼女のご主人はうつ病になられたのだけど、彼女自身も自分をネガティブクィーンとおっしゃるくらいネガティブ思考の持ち主で、心の問題で長い間悩んでおられたそう。この話は、この本の前作「それでいい」に詳しいので、そちらを。

さて、細川貂々さんは、前作で心のあり方を学んで、もっと人を関わりたいと思うようになったそう。でもやっぱり人はコワイ。では、どうすればいいかという疑問を、前作同様、精神科医の水野広子先生にぶつけた。

「人と関わることで、一番大事なことは、人の話を聴くことです」

先生はおっしゃる。やっぱりそうか。
人とコミュニケーションがうまくいかないと思うのは、人の話が聞けないからだ。
私はダメか……と思いながら、読み進めると、人の話を疲れず、引っ張られず聞くには、聞き方があるという。光が見えた!
そして、読み進めるうちに、聞くことの苦手な私の目からウロコが1000枚くらい落ちた。

私にとっては、あまりに衝撃的で、簡単で、感動したので、ここに書き残しておこうと思う。

1 人の話を聴くときに、自分のことを考えない

人の話を聞きながら「この人をどうすれば助けられるかな」とか「どういうアドバイスをすればいいのかな」「その意見は間違っている」「その話、こないだも聞いた」なんて考えていることがよくある。
これは全部「自分の思考」
人は相手の話だけでなく、それ以上に「自分の考え」を聞いてしまっているのだそうだ。
テレビを見ながらTwitterで別の情報を見てるようなもの。
そうなると、相手の話が聴けなくなる。
人の話をちゃんと聴くために、頭の中の雑念が浮かぶたび、雑念を脇に置く。
自分の心は穏やかに、今ここにいて話してくれている相手の存在そのものに集中する
ということだそうだ。
自分の思考は全部一旦置いてくることが重要。
私は、相手の話:自分の雑念=1:9くらいだったかもしれない。
全然聴く姿勢じゃなかったと反省。
人の話を聴いて、何も思わなくていいというところが目からウロコだった。
そして、先入観もジャッジもしない、真っ白で素直な心で聴く。
これは簡単そうで、相当難しい。
試しに夫の話を聴いてみた。雑念が泡のように次々浮かぶ。
その度、それに気づいて、雑念を脇に置くを繰り返す。不思議といつもより冷静にイラつかずに、夫の話を聞いている自分がいた。
練習あるのみ!

2 ただ聴くだけ

目の前にいる人の現在を聴く、ただそれだけだけど、相手は素直に自分の気持ちを話せるので、話しているうちにその人が勝手に変わっていくのだそうだ。
人は自分で迷路を抜け出す力があるのだそうだ。
人は安全な状況に置かれると、その人の力が出てくるから、聴くほうはそれを信じて、何もしなくていいのだ。

人から話を聞けば、何かしらのアドバイスや気の利いたコメントを返さないといけないものだと思っていた。
でも、どんなに考えたって、的確なコメントなんか思いつきもしない。
面白い話なら無理しても笑わなければ、辛い話には一緒に涙して、怒りには怒りを持って共感しなければと、いつも肩に力が入ってた。
悩んでいる人の役に立てない、人に共感もできない冷徹人間かと思ってた。
すると、ますます人と話すのが怖くなる。

ただただ、話を評価せず、意見を言わず、集中して聴く

そんなことしなくてよかったのだ。
重い話だって、重く聞かなくていいし、軽い話をないがしろにするのでもなく、ただ聴く。
それでよかったんだと、またしても、目からウロコがボロボロ……

本には、他にも「ニガテな内容の話の聴き方」や「自慢話、得意話の聴き方」も紹介されていてとても参考になる。

全体を通して思ったのは、人の話を聴くというのは、「その人を信じる」ことなんだなということだ。
人のこころは卵のようなものだそうだ。
ギチギチして世間体や常識を基準とした白身の部分と、その中にあるぽかぽかとあたたかい本質や感じるところの黄身の部分がある。
人の話を聴くというのは、この黄身の部分に目を向けるということ。
怒っている人や攻撃してくる人は「困っている人」なんだそうだ。何か理由があって「困って(黄身)」いて、それが怒りや「攻撃という行動(白身)」になって出ている。だから、「ああ、この人は何かに困っている人だ」と思って聴くと、冷静になれるそうだ。

私は聴けてなかった。ただ聞いていただけだったなと、この本を読んで反省した。
ちゃんと聴けてなかったことで、逆に人との関係がギクシャクしたり、自分が辛くなったりしてたようだ。
聞き上手の友人は、きっとこういうことを無意識にできる人なのかもしれない。
この本のおかげで、ちょっと友人のスゴ技の一部を盗めたような気がした。

何より難しいのは、自分の思考を取り除いて聴くこと。でも、ちょっと意識して人と接してみよう。少し、人と関わるのが楽しみになってきた。


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