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読みたいことを書いた結果は自分へのエールだった

もう2年前のことになるが、文章を書けるようになりたくて、ライティング講座を受けはじめた。

2017年8月から4か月間は、毎週2000字程度、少し休んで、2018年の3月から6か月間は毎週5000字程度を課題として提出していた。
乏しいボキャブラリーも薄い記憶も雑巾絞りにして、毎週毎週何かをひねり出しては、課題提出に勤しんでいた。

5000字の文章を書くコースは、先生が認めた記事には、受講生が感想を述べていい仕組みになっていた。
その感想のほとんどが「面白かった」「感動した」など、褒め言葉だった。私はその褒め言葉が欲しくて、一生懸命書いていた。

この話はちゃんと面白いんだろうか。先生やみんなに伝わるんだろうか。毎回ああでもない、こうでもないと四苦八苦しながら書いていた。
勝敗はあまり芳しいものではなかったが、それでもたまには褒めてもらえることもあって、それを翌週への活力にして書き続け、気がつけば1年以上ライティング講座を受講していた。

ここ最近、プライベートでうまくいかないことが多くて落ち込んでいた。
それに文章も思うように書けていない気がしていた。
一体自分は何を書けるのか、何を書けば読者に楽しんでもらえるのか、そもそも私は書ける人間じゃないのではと悶々としていた。

今日、ふとあるnoteを目にした。

私のライティング講座時代からの友人が書いたnote。

洋服のことを書いたそのnoteを読んで、ライティング講座でも、彼女が洋服をテーマにした文章を課題として提出していたことを思い出した。
そこで、当時の彼女が提出した課題を、探してみた。あった。
読み返してみて、当時、この課題を読んで「私は、まだまだこんなふうに書けないなあ」とうらやましく、悔しく思ったことを思い出した。

では、あのライティング講座で、私は一体どんなことを書いていたんだっけ。ふとそんなことを思った。
試しにと、過去の自分が書いてきた課題を読み返してみた。

私たちは社会というシェーカーの中で感情を揺さぶられ、振り回されて、傷ついたり、落ち込んだりする。その度に立ち上がり、今よりもっとよくなろうと必死に生きれば、シェークされたカンパリのように苦味の角がとれ、まろやかになって、心の奥から滲み出る甘みのある人間になれるかもしれない。なんだ。そうなら、失敗したり、落ち込んだりするのも悪くないじゃないか。今、私が考えるべきは、今回の失敗を次にどう生かすのか、自分を過大評価して傲慢になってなかったか、そして私の失敗を笑いとばしてくれた周りの人への感謝だ。愚痴をこぼすことでも、悲劇のヒロインぶってぬくぬくとした自分という殻の中に閉じこもることでもない。

カンパリシェカラートというカクテルを、初めて飲んだときに思ったことを書いた文章。

ちょっと驚いた。

まさに今、失敗して、何もかもうまくいかなくて、落ち込んでいる自分へのエールだったから。

あの時も、仕事で失敗をして、落ちこんでいた。行くのをやめようかとも思ったけど、どうしてもカンパリをシェークしただけのカクテル、カンパリシェカラートが飲んでみたくて、職場の飲み会の2次会をそっとパスして、飲みに行ったんだった。
苦いカンパリが、シェークされて甘くなる、それだけのことだけど、自分の失敗とカンパリの苦さが重なった。
「失敗したっていいじゃない。それもまた、人としての甘さになるさ」とふっきれたんだった。

そうか、今の悩みもいつか笑い飛ばせる日がくる。いつか同じ悩みを持つ人に寄り添える、だから、もうそんなに落ち込まなくていいんじゃないかと思えた。今、私に必要なのは、うまくいかなかったことや失敗をどう生かすか、もっと良い人間になろうと努力しようとすることだと過去の自分に教わった。

あの時はただ、素直に思ったことを書き綴っただけだった。
先生や受講生のみんなからの賞賛という鼻先のニンジンのことを思わなかったといえば嘘になるけど、書いていて気分が晴れてすっきりしたことのほうが大きかった記憶がある。

自分の素直な気持ちを書きたくて書いた文章は、未来の自分へのエールになることもあるということに驚いた。

自分のために書けばいい。読みたいことを書けばいい。

シンプルなこの言葉が腑に落ちた。

この言葉の出典はこの本。


書いた文章を読んで喜ぶのは、まず自分自身である(以下、略)満足かどうか、楽しいかどうかは自分自身が決めればいい。

今日、過去の自分の文章に励まされて、この本のこの言葉の意味を、自分なりにだけど納得することができた。

もっと読者が感動するエモい文章が書きたい。
もっとたくさんのスキがつく文章を書きたい。
自分にしか書けないものを見つけたい。

そんなことどうでもよかった。
ただ、自分が書きたいことを、精一杯書ききればよかったんだ。
それはいつかまた、自分へのエールとなって返ってくる。それでいい。

毎日、何千記事も上がるというこのnoteで、バズを起こすことなんて奇跡でしかない。誰も私の文章など読んでいないと思っていていい。
では、読者はどこにいるかといえば、ここにいる。自分自身だ。
自分自身が読んで「なかなかええやん!」と思えない文章には価値がない。
逆をいえば、自分が少しでも元気になれる、笑える、泣ける文章を、きっちり書けばそれで十分価値がある。
それがたまに、誰かの役に立つことがあれば、幸せのおまけをもらったと喜べばいい。それでいいんだ。

自分がエモいと思えれば、自分がスキを押したくなれば、自分が書けることを自分が納得するまで書いたらいい。

だから、今日も書きたいことを書くし、「私の文章、なかなかええやん!」と思えるように書く。たまには褒められたいけどね。

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