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お受験狂想曲 完結編

我が家に待望の息子が生まれたのは、2002年の春。
臨月になったころ、妊婦検診で「お腹の赤ちゃんが小さめです」と言われた。多くの赤ちゃんは、2500g以上で生まれてくるけれど、うちの息子は、このままのペースで成長しても、予定日までに2500gを越えらえられないらしい。
どうして、普通の大きさに育っていないの?
何か大きな病気を抱えているんだろうか。
私の栄養状態が悪かったのだろうか。
つわりがひどくて、ろくでもないものしか食べなかったからだろうか。
それとも仕事をしすぎたのが、よくなかったのだろうか。
小さく生まれたせいで、大きな病気にかかったりしないだろうか。
いろんな不安や後悔が頭をよぎる。
「いたっ!」母親のそんな心配をよそに、息子は元気に動き回り、私の腹を内側から思い切り蹴飛ばした。
いやいや、予定日はあくまで予定。もしかしたら、お腹の中でゆっくり成長して、予定日を過ぎてから生まれるんじゃないかな。うん、きっとそうだ。

予定日を5日後に控えた土曜日の夜。
生まれる気配は全くない。やっぱりそうだ。これは、予定日をとうに過ぎて生まれるんだな。
「赤ちゃんが小さい」心配を吹き飛ばすために、夫と実家の両親、妹夫婦(実は妹も妊婦)を誘って、近所の焼肉店で、お肉をたらふく食べて、飲んで、盛り上がった。

その翌日の日曜日。
息子は生まれた。

あまりにあっけなく生まれたので拍子抜けした。

陣痛はとても順調だった。
初産の人は、陣痛が止まって自宅に返されたり、非常に長い時間がかかると聞いて、びくびくしていたのに、かかった時間はわずか7時間ほど。
本当に痛いと思たのは、3時間くらいだったかもしれない。
あれよあれよと分娩となり、夫も実家の両親も、主治医の先生さえ間に合わず、助産師さんと看護師さんだけで出産した。麻酔なしで行われるという噂の会陰切開もしなかった。

息子は、予定日より4日も早く、つるんと生まれた。
体重は2500gにわずかに足りなかった。
だけど、病院一大きな声で泣く元気な赤ちゃんだった。

あれから、19年が経とうとしている。

「息子さん、伸び悩んでいるようで……」
昨年12月、マスクに手指消毒と異例の厳戒態勢で受けた面談で、担任の先生から言われた。
最近の模試の結果から見て、第1希望の国立大学に手が届かない。
C判定……
大学入学共通テストまであと1か月でC判定。合格可能性40%以下。

これ、無理やん……

思い返せば、息子のお受験狂騒曲は、去年の高校2年の2019年から始まっていた。

あの時は、まだ希望があった。1年頑張ればきっとA判定に、いやせめてB判定にはなると信じていた。

息子は息子なりに頑張っていた。
高校3年になってからは、命の次に大好きなゲームと水泳を封印し、週末ごとの模試、補習、塾と休む間もなく勉強に励んでいた(はず)
だけど、全国の大学進学を目指す高校生が、同じように受験勉強を頑張っていたのだ。息子と同じように、いやそれ以上に、みんな頑張って成績を上げた。
そう、C判定は変わることがないのは当然だった。

きっと息子の頑張りが足りなかった。
いや、そもそも彼のポテンシャルが足りなかったのかも。
争いを嫌う息子の性格は、受験戦争には向かなかったのかもしれない。
大学受験に頼らず、彼の好きなことができる世界を探してやれなかった。
親である私たち夫婦のコーチ力が足りなかった。

足りないものばかりを数えて、辛くなった。これまでの子育てを後悔した。
大きな壁が立ちはだかって、息子の将来の光が見えなくなった。

「今の息子さんの成績なら、このあたりならまだ狙えます」
先生が勧めてくださったのは、第1希望の大学の学部の推薦入試。大学入学共通テスト(去年までのセンター試験)がうまく行けば、なんとか第2希望の学科になら滑り込めるかもしれないと言う。
「一般入試では、かなり厳しいと思いますので、推薦で行きましょう」
先生の力強い言葉に、息子も私たち親も、少し希望を見出した。
残り1か月。コロナ禍とはいえ、世の中はクリスマスだ、年末年始だと賑やかだったけれど、我が家の家族は息子への感染を恐れ、誰にも会わず、どこへも行かず、厳戒態勢。

息子も、必死で勉強していた(はず)
苦手な化学を克服しようと頑張っていたし、年末年始は、ずっと部屋に籠って勉強していた(はず)

とはいえ、共通テストは一発勝負。そこで、そこそこの点数を取らなければ、推薦入試の書類選考に通らない。推薦は定員も少ない。
彼の成績では、共通テストの問題いかんでは、大コケする可能性もある。

滑り止めに私立大学も受けよう。

理系の私立大学の授業料の高さにおののく。そして、県内には息子が学びたい分野の大学がない。当然、県外で一人暮らし。授業料に生活費……出費を考えるとぞっとする。
だけど、背に腹は代えられない。息子の人生が掛かっているのだ。四の五の言っている場合ではない。
借金してでも、息子がやりたいことができる大学に通わせてやらねば。

「息子さんの成績なら、このあたりなら……」
と担任の先生が勧めてくれた大学と、そことよく似た偏差値の大学を合わせて受けることにした。

受験したのは5校。
最近の大学入試の出願は、インターネット。そしてクレジットカード払い。私立大学は、いろんな出願方法ある。あれもこれもとクリックすると、べらぼうな受験料が請求される。その上、カード払いだと支払った気がしない。
後日、カードの請求書を見て、卒倒した。締めて22万円。

「受験に行くときに雪が降ったら、行けなくなるでしょ? 職場の人から『スタッドレスタイヤ』にしたほうがいいと勧められたんだけど」
年の初めに、夫が急にそんなことを言い出した。
ちょうどそのころ、南国のこの町でも雪やみぞれがちらつく日が続いていた。
確かに、一度きりの共通テストの日に大雪が降ったりして、ノーマルタイヤのせいで受験会場にたどり着けなかったら最悪。
滑り止めの私立大学の受験は、山を越えた隣の県で行われることもあるし、スタッドレスタイヤのほうが安心ではある。
結局、安心を買ってしまった。13万円。


さて、滑り止めに受けた私立大学5校はこんな感じ。

偏差値順          息子の合格率
A大学(人気のマンモス大学) B判定(60%)
B大学(滑り止めの中の本命) B判定(60%)
C大学(先生に勧められた)  A判定(80%)
D大学(C大学と同じレベル) 不明
E大学(滑り止めの滑り止め) A判定(80%)

そして、ついに大学入学共通テスト。
朝早く起きて、弁当を作り、息子を送り出した。

結果は……微妙。

「先生に、推薦の出願先を変えるように言われた」
共通テストの翌日の午後、息子からLINEが来た。
なんでも、息子の点数では、行きたい学部の第2希望の学科の推薦もあぶないという。
出してもいいけど、合格できる望みが薄いらしい。
もはや、推薦もダメか……
「第3希望の学科にしたらどうかと言われた」
そこなら、過去に息子と得点と似た点数で合格した先輩がいるから、受かる可能性があるかもしれないと担任の先生が勧めてくれたらしい。
息子も、調べてみたらなかなかいいと思った。
今まで考えたことのなかったけれど、新しい分野の研究が盛んな面白そうな学科だった。
なんとなく運命を感じる。
もしかしたら、ここが彼の行き先だったのかもしれない。ふとそう思った。
「ママはいいと思う。あとは、あんたがいいなら、そこにしたら?」
仕事そっちのけで、息子と夫と私のグループLINEは大忙し。(すみません)
朝夕方には、その学科で推薦入試を受けることに決まった。
ここからも息子は頑張った。
わずか2日ほどで推薦書を一から書きなおし、2人の先生に添削してもらって、書類をそろえた。その合間に、私立大学や国立大学の二次試験の勉強をしていたらしい。

しかし、推薦入試の願書を郵便局から発送して、ほっとしたのもつかの間、またしても担任の先生に呼び出された。

「行ける大学がありません……」
担任の先生が、小さな声でつぶやいた。
推薦も第3希望の学科に出したものの、息子の共通テストの得点では書類選考で落とされる可能性が高いという。
そして、息子の共通テストの得点では一般入試で合格できる国公立大学がないという。C判定どころか、D判定だった(合格率20%以下)
その上、息子が希望する分野の出願者がかなり増えていて競争も激しく、コロナ禍で地元志向も高まり、いつもより受験生のレベルが上がっているのだとそうだ。国公立大学の門はあまりに狭くて、遠かった。
もはや推薦に奇跡を願うか、私立大学に進むしかなかった。

「推薦は、もう、ないものとして考えてたほうがいいよ」
夫に諭される。
確かに、奇跡は、めったに起きないから、奇跡というのだ。

ここまできたらもう仕方ない。気持ちを切り替えて、頑張って私立大学の受験に臨もうと息子と話し合った。(息子はほかの学科でもいいから、どうしてもその国立に行きたいと渋っていたけれど)

私立大の入試が始まった。連日、息子に弁当を持たせて、夫と(たまに私)が試験会場まで送り迎えした。夫の勤める会社が時間に融通の利く、それも在宅勤務で本当によかった。いくら県内で受験できるとはいえ、連日で、開始と終了の時間もまちまちで、本当に大変だった。
受験日はいつも快晴だった。
13万円のスタッドレスタイヤは「滑らない」というゲン担ぎにしか役に立たなかった。

推薦入試の書類選考の発表の日がきた。
結果は電子郵便で来るという。
「電子郵便って何?」
ググってみたら、どうやら「レタックス」のことらしい。合格通知がレタックスで来る。なんだか、「サクラサク」の電報みたい。
これも夫が在宅勤務でよかった。
「合格してる!」
その日のお昼前、夫から「合格」と書かれた電子郵便の写真がグループLINEに届いた。

奇跡が起きた。

なぜ、得点の足切りに合わず、書類選考に合格できたのか全く分からないが、こうして合格通知が来たのだから、合格したんだ。
一般入試がD判定だった今、息子が行きたい大学に入る方法は、もはやこれしかない。
二次試験の面接に全身全霊を懸けるしかない。

息子は、学校の先生と二次試験の面接の練習を集中的にやって、書類選考の数日後、二次試験に挑んだ。

「面接どうだったって?」
本人に直接聞くのが怖くて、送迎した夫に、息子の様子を聞いた。
「問われたことは全部答えられたけど、数学と英語のテストの結果が不安らしいよ」
試験官の前で、数学と英語の問題を解かされたらしい。時間は5分程度。到底、最後まで解答することができなかったという。
今回の推薦入試の定員は10人。
出願したのは20数人で、書類選考で残ったのは15人だったそうだ。
今回面接に呼ばれたのは9人。10人の定員のうちすでに6人は成績優秀者で、二次試験の面接を免除されているらしい。残るイスは4つ。それを9人で奪い合っている状態。倍率2倍以上。

息子の運もここまでか……

幸い滑り止めの私立大学がいくつか合格していた。

私立大学の結果はこちら。

A大学 繰り上げ合格候補者(補欠ってことです)
B大学 第2希望の学部が合格(第一希望の学部は不合格)
C大学 合格(成績優秀者として授業料一部免除の特待生扱い)
D大学 第3希望の学部が合格
   (第2希望までしか登録していないのになぜか第3希望で合格)
E大学 合格

蓋を開けてみると、意外と好成績だった。

推薦がダメでも、私立大学がある。少し気が楽になった。
でも、あくまで息子の希望は国立大学。できることなら、一番行きたい大学に受かってほしい(親としても経済的にありがたい)
毎日、友人からお福分けしてもらったお守りに祈った。
神様仏様に、先祖に祈った。祈るものが何もなくても、とにかく祈った。

受験生に滑る、落ちるは禁句だというが、本当だ。
書類やハンカチを落としただけでも「ああ、落ちた!!」とヒステリックになった。自分が受験したときには、考えたこともなかったのに。

「倍率10倍の編入試験に合格した」
「諦めかけていたら、国立大学の後期試験に受かった」
知人や友人から、受験の奇跡の話を聞いて、「もしかしたら、うちも……」という微かな希望を探しまわった。

ついに、推薦入試の合格発表の日がきた。

発表は、16時に大学のホームページに掲載されるらしい。
朝から仕事が手に付かない。
時計ばかり見てしまう。
あと5時間、4時間、3時間、2時間、1時間、30分……
腕のAppleWatchが震えるたびに、びくっとしてしまう。
16時をわずかに過ぎたとき、息子からLINEが来た。

「合格してた」

送られてきたホームページのスクショには、息子の受験番号があった。

奇跡が再び起きた。

もし合格していたら、飛び上がって、涙を流して喜ぶんだろうなと、その姿を何度も何度も想像していたのに、意外にも、そこまで両手放しで大喜びすることがなかった。
思ったのは「4年間、大学に通わせなくてはならない」という新しい責任感だった。

今日、入学金を振り込んできた。
その払い込み通知書を見て、やっと「ああ、終わった」と思った。
明日から、空に祈らなくていい。
落ちた、滑ったにびくびくしなくていい。
安堵感がやっと今、じわじわと胸に広がっている。

もしかすると、推薦もだめで、私立大学もだめで、国立大学の一般入試の二次試験もだめで、最悪は浪人したりして、この受験地獄は延々と続くのかもしれないと思っていたのに、地獄は、突然終わりを告げた。

そのうれしいあっけなさは、息子を生んだあの時のようで、息子はそういう運命なのかもななんて、都合よく解釈したくなる。

「自分が受験した時より、うれしいよ」
夫がいう。ほんとそう。親とは、こういうもんか。

振り返ってみると、わずか数か月の出来事。
だけど、これほど家族が一喜一憂しながら、団結して、一つのことを成し遂げたことはなかったかもしれない。

お受験狂騒曲。これにて、完結。

今週末のお酒は、いつも以上に美味しくなりそうだ。

親バカ、万歳。




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