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ベンチャーとしてのコロンブスの航海  財務官の奔走

ベンチャーはシリコンバレーに始まったにあらず、昔から、志ある発起人の奮闘による起業が多々あった。コロンブスの航海もそう。発起人たちは新技術や新たな構想を信じ、資金を動員し、時の権力者を動かし、歴史を変えてきた。

教科書的な通説だと、「コロンブスの航海」とは、スペイン王室がコロンブスの航海計画に関心をもち、王室の庇護を与えて実現し、ヨーロッパからインドへの西廻りの近道を見出そうとしたら新大陸発見につながったと。

歴史を紐解くと、このリスクの高い計画に一生をかけた起業家コロンブスだけでなく、計画実施にベンチャー・キャピタリスト的な人物が奮闘していたというのがわかる。

ここではそれを今時の起業になぞらえて書いてみる。

事業機会と新技術の実用化


まずは、事業計画の起点である「事業機会」について。

「金銀や高価で取引される香辛料を入手できるインドへの最短距離の航路の発見と独占」というのがそれ。

危険で遠い陸路や、アフリカを迂回しての航路よりも、短くて安全な航路は莫大な経済的利益がある。

そして「ベンチャーで実用としたい技術」は、コロンブスは西回りがインドへの最短距離となりうると理論根拠をあげていた。

当時すでに信じられていた「地球球体説」。推計でかなりの短距離でインドに到達できるはずと。残念ながら、ヨーロッパ人はまだアメリカ大陸の存在を知らず、西にいけばアジアに到達するという間違いから、航路が4000キロ程度と短く見積もられていた。不正確だったが、発想はよかった技術的発想。

ポルトガルでのシード動員の試み

イタリアのジェノバ出身の商人のコロンブスは、まず1484年に、当時彼が弟と住んでいたリスボンのポルトガル王室に事業計画提案を試みる。饒舌に熱弁をふるう起業家コロンブスに王ジョアン2世は興味をそそられたというが、王室の諮問委員会は否決。

理由は、西への航海はそれまですべて失敗していたこと、一方で南のアフリカ航路は喜望峰に達する寸前まで来ていたこと。

そして、コロンブスの成功報酬の過剰な要求。高い地位や権利そして収益の10%の成功報酬。今どき、収益の1割の成功報酬はつつましい要求だと思うが(創業者が10%のエクイティ)、まだ駆け出しのコロンブス、ポルトガル王室の委員会には1割が法外とされてしまう。

再度コロンブスは提案したが決定は覆らず、ジョアン2世はコロンブスが自費で航海をするならばよいと言うのみ。コロンブスには資金はない。この頃、コロンブスは妻フェリパを亡くす。1485年に8年間過ごしたポルトガルを失意のもと離れスペインに移った。でも、これで挫けなかったのがコロンブスのすごいところ。当時彼はすでに当時では中年後期の30歳を越えていた。

スペインに移ってのシードマネー動員努力継続

コロンブスは、1486年にお隣のカスティーリャ王国セビーリャに移る。そして、富裕な商人や権力者のサロンに足繁く通って自分の学識や人柄をアピールしつつ、西廻りインド航海計画ベンチャーについて熱弁を奮った。

今の世にも通ずる、ベンチャーのシード資金探しのプロセス。彼は、説得の能力も優れていたと思うが、聞く人を巻き込む人間的な魅力もあったに違いない。怪物が住む海の果てへの航海に金をだしませんかという話なんて、聞いてもらうのも大変だったろう。ベンチャーの発起人には、聞く人を共感させて巻き込んでいく魅力が必要。

説得がだんだんと功を奏し、カスティーリャの有力者から船や食料調達での支援をとりつけることに成功。それで物事にはずみがついてくる。最初の支援者は重要。支援者たちは、こういう計画は王室への許可を得るべきだと動いてくれる。カスティーリャ王国のイサベル1世へ計画が告げられると、女王自身が興味を示す。そして、コロンブスはコルドバでイサベル1世とその夫フェルナンド2世に謁見する。

今で言ったら「小売業だったら柳井さんにあってみなさい。私が紹介するから」とか、「この技術ならインテルのベンチャー投資部門に相談がいい。紹介するよ」とか、「国家規模の話につながるのは政府系のベンチャーだな。経産省の知り合いいるよ」。共感してくれた有力者たちによる、そんな展開だろうか。

ラッキーだったのは、イサベラ女王と夫のフェルナンド2世国王はその後の大航海時代に栄華を極めた近世スペインの基礎を築いた賢い統治者夫婦で、とくにイサベラ女王は聡明さで知られていた。未開の土地の人間をカトリックに帰依させるというコロンブスの説得もよかった。フェルナンド2世はあまり興味を持たなかったが、イサベル女王は惹きつけられたという。

イサベル女王は敬虔なカトリック信者だから金儲けの話しとしてじゃなくて、カトリックのアジアでの布教という意義を強調してピッチしてみようとコロンブスは雄弁を奮ったのだろう。相手にあわせて、とても効果的な説得をするのも起業では重要。

女王が興味あるからといって話がきまるほど甘くはない。上場大企業の役員がおもしろいと言っただけでは会社は動かない。コロンブス計画も、王室の諮問委員会で評価されることになる。この諮問委は、ゆるいVCの投資委員会より厳しかったようだ。

1486年だけで二度、サラマンカで委員会は開かれたが、そこではコロンブスが示したアジアまでの距離が特に疑問視され、結論は持ち越されてしまう。数字に強い科学的に鋭い洞察をもった委員がいたのか、新しいものには懐疑的な委員がいたのか。さすがのコロンブスも論破できなかった。

諮問委の結論はなかなか出ず、時間だけがすぎていく。じつは、コロンブスに好意を持った委員会メンバーが委員会が否定的結論を出そうとすると引き延ばしにかかっていたのだが、待つ一方で、コロンブスはポルトガルのジョアン2世に再度手紙を送ったがポルトガルはアフリカの喜望峰航路発見でそれどころではなかった。弟バルトロメをイギリスやフランスの王室に送って計画の提案させたが支持は得られなかった。

スペイン王室は、1489年に、今の金にして9万円くらいの1.2万マラベディスの王室からの年間顧問料だとコロンブスへの金銭的援助は行っていた。コロンブスとしては、ありがたいけれど航海の実現が自分の切望するところなので、生殺しにしないでよというところか。出資はしてくれないが、飯はよく奢ってくれる投資家みたいな話。

1490年、諮問委は結局、提案に反対する結論を出す。翌年、枢機院も案を否決。コロンブスは、1491年に、スペインも6年いたがだめだったと、弟バルトロメが滞在するフランスへ移ろうとする。

この時、奇跡というか、彼の運命を決定づけることが起こる。フランスへ行こうとするコロンブスをスペインに引き止めた人物がいた。

ベンチャー・キャピタリストの登場?

それが、ルイス・デ・サンタンヘル。この記事のタイトルの肖像画の人物。コロンブスと同じジェノバ出身の彼は、当時イザベル1世の旦那のフェルナンド二世のアラゴン王国(当時はカスティーリャとアラゴンは同君連合王国)の財務長官。

財務長官といっても Escribano de Racion (直訳だと配給担当の書記官)という職務は役人というよりも当時は有力な商人が担当していたということなので、王室に信用され登用された有力商人といった人か。

サンタンヘルは、コロンブスの計画をおもしろいと思い、イサベラ女王説得に乗り出す。

サンタンヘルによる王室への説得のロジックは、王国へのメリットそしてリスクを語りつつ、レコンキスタ運動も引き合いにだして大局観も語り、そして、しまいには資金は商人の自分がどうにか調達するから王室としてお墨付きだけ出してほしい提案までしてしまう。

航海は今で言えば規制業種で、なにをやるにも政府許可が必要なので王室のお墨付きが必要だったいうことなのか、それとも、政府が支援というと資金動員がやりやすくなるということだったのか。

サンタンヘルは女王の説得にかかる。コロンブスの条件は過大にみえるが新航路発見で見込める王室への収入からすれば問題にならない。また、1492年イスラム最後の拠点であったグラナダが陥落したことで失地回復のレコンキスタ運動が終わり、スペインに財政上の余裕ができたと指摘。

それで元々から興味を持っていたイサベル1世は賛同して、夫フェルナンド2世を説き伏せ、王室はついに6年越しのコロンブスの計画を承認することになる。

この時、コロンブスはまさにフランスへ向けてグラナダを出発したところだったが、王室の伝令が彼を追いかけ、グラナダ郊外の橋の上でコロンブスに追いついたという。

コロンブスのベンチャー立ち上げの試みは10年以上、シード確保に幾度も頓挫しながら、やっと実現へと動く。

翌年1492年に、コロンブスは王室との契約「サンタフェ契約」を締結して、数ヶ月後に、コロンブスが率いる3艘の船が西へと航海に出る。インドへの西廻り航路を求めて、結果として、新大陸を発見することになる航海に。 

王室との「サンタフェ契約」は、今風にいったら、大企業とベンチャー事業の戦略提携契約のようなものか。

サンタフェ契約
・コロンブスは発見された土地の終身提督となり、この地位は相続される。
・コロンブスは発見された土地の副王・総督に就き、各地の統治者は候補三名をコロンブスが推挙しその中から選ぶ。
・提督領から得られたすべての純益のうち10%はコロンブスの取り分とする。
・提督領から得られた物品の交易において生じた紛争は、コロンブスが裁判権を持つ。
・コロンブスが航海において費用の1/8を自分で負担する場合、利益の1/8をコロンブスの取り分とする。  (Wikipedia)

統治権と統治者の任命権そして純益10%の取り分を自分に、さらに、裁判権も、新規事業(航海)での「増資」は1/8の枠を確保し事業の収益の1/8を取るというものだったが、アグレッシブに要求してそれが通ってしまった。願ってもない好条件であった。

「コロンブスの全航海の報告」の著者の林家氏はこう書いている。

「(コロンブスの)態度には普通王室に援助を求めに来るものが有する卑屈な態度はみじんも見られ」ず、「賢明なイサベル女王は、この態度の中に、その言が決して冒険家の単なる大風呂敷でないことを洞察したに違いない」。

ふむふむ、ベンチャー起業家諸君、これ、本当に自信のある新事業と思うなら条件は高飛車に出ていいという教えか。ぴかぴかの大企業でも、断られたら縁がなかったくらいに思っておけばいい。コロンブスのようにそれがあなたにとって一生に一度の勝負であるなら。

また、能吏サンタンヘルがこれは王室にもWin-Winの話ですよと説明したから実現したのだろう。根回しして、まずは提携先の企業の社長の番頭さんの信任を得るというのは、社長に認められること以上に大事という教訓か。

シード投資ラウンドとしての初回航海資金動員

航海の経費はサンタンヘルが奔走して調達した。

警察機構サンタ・エルマンダーの経理担当のジェノヴァ人と協力して140万マラベディ、アラゴン王国の国庫から35万マラベディを調達。コロンブスはメディナ・セリ公やセビリアのフィレンツェ人銀行家ベラルディなどから借金をして25万マラベディを調達(Wikipedia)。

カスティーリャ王室のプロジェクトなのに、サンタンヘルはイタリア商人コネクション総動員。自分が財務担当のアラゴン王国の国庫からも出してる。

今風にいえば、サンタンヘルがリスク資金を7/8動員、コロンブスが個人保証で借金して1/8出資という感じ。株としたら創業者が12.5%というのは資本政策としては低すぎだが、これは初回航海の資金調達であって、あわよくば提督になれるのでよしか。

三隻で船乗り計100人の航海プロジェクトのコストが今の金で1500万円くらいというのは多いのか少ないのかよくわからないが、サンタンヘルが、俺が集めてやると思ったくらいの金額であったのだろう。コロンブスにも1/8を借金させながらも出資させているのは、サンタンヘル、キャピタリストとしてなかなか創業者を甘やかさない。

スペイン異端審問とユダヤ系商人たち

時代的背景として、レコンキスタ終了と異端審判。

700年続いたムスリム勢力の支配からイベリア半島を奪回する「レコンキスタ」が1492年のグラナダ陥落をもって終了したことで、スペイン王室に余裕ができた。一方で敬虔なカトリック両王は、イベリア半島におけるカトリック以外の異端審問を強化した。

林家氏の著書に、コロンブス自身がユダヤ教からの改宗者(コンベルソ)の商人だった可能性が書かれている。サンタンヘルを主人公とする小説では、創作で、彼がコンベルソでその苦悩や愛を新天地を夢見るコロンブスへの協力の背景として描く。異端審問が激化する流れのなかで、改宗しカトリックとして生活しているコンベルソ達にも様々な圧力がかかっていった。

コロンバスだが、スペインでははスペイン語風にクリストバル・コロン(ちなみにコロンブスは英語化した名前。イタリア語ではクリストファーロ・コロンボ)と呼ばれているが、林家氏の解説によるとそこには深い謎があると。

「かつての先祖の姓を名乗ることとした」と、彼の家族による記載があるという。

当時のカスティリャ王国には、ディアスポラで世界に散らばったユダヤ人が居住していて、コロンという姓のユダヤ人がいたという。14世紀にカスティリア王国にいたコロンブスの祖先のコロンがジェノバへ移住して現地の姓のColombo(イタリア語で鳩)に改称した可能性はある。

そうだとすると、を彼がスペインで「かつての先祖のコロン」として名乗ったという可能性。これはコロンブスはじつは元ユダヤ教のコンベルソ(改宗者)だという憶測で、新しいことに挑戦した背景に、そうした複雑な出自があったのではという。

サンタンヘルについては、改宗して何代か目のコンベルソであったのは定説らしく、その他についてはあまり情報はなく、アメリカ人著者による彼を主人公にしたの長編小説を見つけた。

この本、正直あまりお勧めでない。和訳がない、中世が舞台のせいか英語の表現振りが大袈裟だし全体が長い。物語もラブストーリーが軸。でも、コンベルソとしてのサンタンヘルの苦悩についてはよく描けている。

サンタンヘルは、先代がカトリックに改宗していて自分はカトリックだと思っていたら、ユダヤ教の未亡人と恋に落ち(たぶんこれは創作)、反ユダヤの宗教裁判官との争いに巻き込まれる。そんな中で出会ったコロンブスの新たな航路の夢に賛同し、その支援に自分の夢を託す。

核融合的な馬鹿力が必要なベンチャー立ち上げにも、こうした込み入った出自の人こそ逆に社会の逆風に逆らって頑張ってチャレンジするというのは、現代にも通ずるものがあると思う。

第1回航海(1492-1493)と凱旋帰国

1492年8月3日、大西洋をインドを目指して中型帆船3隻、総乗組員数は約90人で、パロス港を西へと出航した。

西へと初めての航路を進めるにつれて、コロンブスは平気な振りをしていたが、計算を越えて長い航海となってきたことに不安を感じていた。彼は、わざと航海距離を短めに記録するなど姑息な手もつかいながら、乗組員の不安を抑えようとしている。アジアまでの西回り4000キロ弱とみていたが、エスパニョーラ島までは7000キロはあった。

10月に小規模な暴動が起こり、3日後には船員の不安は頂点に達し、コロンブスに迫り「あと3日で陸地がなかったら引き返す」と約束させたが、その後、流木などを発見し、コロンブスは陸が近いぞと船員を説得する。そしてあと少しで引き返さないとまずいとなったころ、最初の島サンサルバドル島にたどりつき、そして、今のドミニカ共和国とハイチがあるエスパニョーラ島上陸となる。コロンブス、運がいい。ベンチャー会社運営でも運も大切。運がよかった人が生き残っている

ちなみに、中世では天動説が広く信じられて、コロンブスは球体説を信じ船出したというのは正しくなく、後で作られたお話。既に球体説は広まっていた。

「西インド」を発見したと、コロンブスは大興奮している。最初にスペインに宛てた書簡は、大恩人のサンタンヘルへの書簡。盟友に感謝しながら、長々と自らの偉業について綴っている。

黄金やインドにあるような香料などがあまり見当たらなかったが、コロンブスはその他のカスティーリャの支援者たちへの書簡で言い訳・楽観論を書き綴っている。金銀財宝がこれからぞくぞくでてきますよというような。ベンチャー企業創業者が、最初は計画がずれこんで目標達成が遅れても、投資家に業績心配ありませんと説得しているよう。

1493年3月15日に、スペインのパロス港へ帰還した。7ヶ月の旅の後、英雄としてのすばらしい凱旋帰還だった。

コロンブスを歓迎して宮殿では盛大な式典が開かれた。サンタフェ契約に従い、コロンブスはインディアンから強奪した金銀宝石、真珠などの10分の1を手に入れた。また、陸地を発見した者には賞金がカトリック両王から与えられることになっていたのだが、最初に陸地を肉眼でみた船乗りではなくコロンブスは自分が先に見たと言い張り、これをせしめている(コロンブス、細かい)。

このニュースはヨーロッパ中に伝わり、全ヨーロッパが新世界の発見に興奮し新しい時代に夢を馳せたという。国王に調査報告を終え、コロンブスは今後の航海では「ありったけの黄金ありったけの奴隷を連れてくる」と豪語、「永遠なる我々の神は、一見不可能なことであっても、主の仰せに従う者たちには、勝利を与えるものなのだ」と、意気揚々のコロンブス、夢は膨らむ。

また、時代が彼を助ける。1493年、スペインとポルトガルは「トルデシリャス条約」を締結。ヨーロッパの西沖のあたりを境に、アジアを含む東側をポルトガル、アメリカ大陸のほうの西側をスペインとした。ベンチャーで、対象市場で競合と棲み分けが合意できたようなもの。

スペインはこれによって、新大陸を探検し植民する独占的な権利を手にした。折からの世の中の関心の高まりによって、コロンブスは2回目の航海の資金を難なく作ることができた。

2回目以降の航海の資金調達:シリーズB

シリーズBというのは、ベンチャー企業がシードやシリーズAという、どちらかというと身内からの資金調達の後、さらに、製品を大量生産して会社を本格的に成長させるときに必要な資金の調達のことを一般に指す。

開発の末に製品の商業化の道筋がみえてきたベンチャーのように、航路の発見で、さらにアジア航路について大風呂敷を広げるコロンブスのシリーズBの資金調達はとてもスムーズであった。

金額など詳細の情報不明だが、2回めの航海は17隻の船、船員は1500人。初回航海の10倍以上の規模。

まずは、前回発見したエスパニョーラ島に寄って、島を制圧して街を築く。提督コロンブスは弟のバルトロメを総督に任命して統治させる。さらに探検家コロンブスはカリブ海で新たにいくつかの島を発見してスペインへ帰還。

このシリーズBファンディングに支えられた飛躍期であったはずの第2回航海で、コロンブスは、いくつか過ちを犯す。

まず、任命権を行使して弟を総督にしたこと、そして、金銀・香辛料がなかなかみつからない中で、王室によかれと思って現地のインディオ達を奴隷としてスペインに送ったこと。

弟の統治は評判が悪かった。コロンブス家の力が増大することへの危惧もあったか。ベンチャーで、人望があまりない親族を子会社の社長にして任せてしまったというような失敗。

そして、奴隷化のつまずき。原住民の奴隷化は、教会に相談した王室がイエスとは言わなかった。コロンブス、せっかく敬虔なイサベラ王女の信心にも訴えかけてキリスト教布教のためと資金動員したのに、判断ミス。

第2回航海は3年の年月をかけたが、黄金も大してみつからず(砂金がちょっと出ただけ)、期待のアジアのジパングやキャセイ(中国)へもたどり着けず、香辛料も見つからず。第1回航海からの凱旋の熱気も、だんだん冷めていく。

その後、ベンチャーの凋落?晩年の不遇?

その後、航海3回目は、許可がおりるまで2年を要した。1498年5月、6隻の船で航海に出る。船は船員だけでなく、植民地に必要な人材が乗り込んでいた。今回は南よりの航路をとり、現在のベネズエラのオリノコ川の河口に上陸した。

その膨大な量の河水が海水ではなく真水であったことから、それだけの大河を蓄えるのは大陸であるということをコロンブスは認めざるを得なかったという。しかし彼は、最期まで自らが発見した陸地をアジアだと主張し続けた。これは大陸でアジアなんだが、インドとかはもっと内陸なんだと。

その後、サントドミンゴに着くと弟バルトロメの統治の悪さから反乱が起きていた。原住民を奴隷として本国に送るが、イザベル女王はこの奴隷を送り返し、コロンブスの統治に対する調査委員を派遣した。コロンブスは1500年に本国から来た査察官により逮捕され、本国送還。罪に問われる事は免れたものの、すべての地位を剥奪される。王室は別の能吏を新たなエスパニョーラ島総督に任命。

巨額の成長資金を得て事業拡大中のベンチャーで、創業社長の弟が社長の子会社で内紛が起きて、創業社長も事業上で大きなミスを犯してVCから解任され、創業社長は追放はまのがれるが弟は役職を解任され、新たにVCからおくられた人物が社長にというような。

でもコロンブス、あきらめない。アジア大陸を発見したとの確証を得るため航海を企画し続ける。4度目となる航海は、王からの援助は小型のボロ舟4隻で乗組員140名と初回航海程度。1502年に出航したが、エスパニョーラ島への寄港は禁じられており、パナマ周辺を6か月さまよったが、最後は難破して救助され、1504年11月にスペインへ戻った。

もう50代になったコロンブスは諦めず何度も航海を企画するが、1504年末に頼みのイサベル女王が病気で死去、スペイン王室はコロンブスを冷遇。

コロンブスは痛風発作がでて病に伏して、1506年、バリャドリッドにて死去。

アジア大陸ではなかった「新大陸」も、「コロンブス大陸」と命名されることもなく、別のイタリア人の航海者アメリゴ・ヴェスプッチの名が地図に記され、ヨーロッパでは「アメリカ」という名称が定着する。

コロンブス的なもの・サンタンヘル的なもの


コロンブスの最期は、本当に、「不遇の晩年」で死んでいったのか。

新大陸を発見し凱旋したのをピークに、だんだんすべてがうまくいかなくなる。アップルを追われたジョブスのように、コロンブスは自らの事業からも追い出される。

痛風にもなった50代のコロンブスは、酔っ払ってバールでくだまいては、「あの西回り航路発見のコロンブス提督とは俺のことよ。イサベラ女王が信頼をおいた冒険者なんだぞ」とぶつぶつ、不遇の日々を送っていたのではないかと。

いや、それは違うな、と思う。そしてこんな想像をする。

第1回航海の後、コロンブスはサンタンヘルと祝杯をあげて「俺の企画と、お前の奮闘で資金が動いて、偉業が実現した。ヨーロッパ中が興奮している。すごいじゃないか」と。密かに「やっぱり、あれアジアじゃないよな。新大陸っぽい、今更そんなこと言えないけどな」と言うと、サンタンヘルは「いいよ。アジアということで突っ走ろう。王室は俺がどうにかする。この流れにのってもっと凄い航海やろうよ」とか。

サンタンヘルのほうも、時はスペイン異端審判の時代、コンベルソの彼らに対する風あたりは強く、成功に対する妬み、裏切りも多々あって、なかなか物事はうまくすすまない。でも、打たれ強い二人は、最期まで活躍しつづけたのではないだろうか。

さらに妄想。

晩年、コロンブスは「俺の人生、楽しかった。チャレンジを続けたよ」と笑う。

異端審判を逃れて新大陸に偽名で入植した盟友サンタンヘルも言う。「コロンブス、君のおかげで僕もいい夢みさせてもらったよ」

妄想の中の彼らは、年老いてもぎらぎらしている。けっして不遇の晩年なんて言葉は似あわない。

夢の実現のために異国の地で一生をかけたコロンブス、その支援で資金調達に奔走したサンタンヘル。創業メンバーCEOとCFOといった感じか。■

参考

林家永吉「コロンブスの全航海の報告」(岩波文庫)

クリストファー・コロンブスの項(Wikipedia)

Kaplan, Mitchell James ”By Fire, By Water"

(タイトル画はサンタンヘル肖像画)

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