見出し画像

【すりがらすの向こう】自分で見る景色

ソーシャルフットボール
東海地区予選

ついにこの日が来た。
私が自分のために初めて選択した選手活動。
その中でも一番でかい大会。

会場について、憧れたユニフォームに袖を通す。
背番号は「7」
一生忘れない番号になることだろう。

東海地区予選は3チームで争われ、
優勝した1チームのみ全国大会へ駒を進める。

公式戦すら初めての私にとって、全国大会は想像もできない舞台。
会場までの移動中は現実味が湧かずにいた。

◎不安

会場で開会式が実施される。
「代表選手もいるかも」と、チームメイトは話す。
相手も同じように精神疾患を持っている、同じ土俵であるはずなのに、
膝は震え、涙が止まらない。
絶望に近い不安が私を襲った。

他チームの試合が始まる。依然、膝の震えが止まらない。
チームメイトからは
「初めての公式戦だもんね」
「試合が始まれば、きっと収まるよ」
その言葉の一つ一つが暖かかった。

だが、
「役に立てなかったらどうしよう」「ミスをしたらどうしよう」という
呪いの言葉で頭が埋め尽くされる。

そんな私を見た監督は、自信を持って笑う。
「大丈夫だよ。1人じゃないから。」

そうだ。私はピヴォ。一番相手ゴールに近い。
つまりは、仲間は後ろにいてくれる。
仲間が、強くて・優しくて・頼れることを、私は知ってる。

静岡県選抜の蒼いユニフォームでコートへ向かった。

◎初戦

vs .桶狭間オーシャンズ
相手チームには女性選手はおらず、数的有利は私がコートにいれば作れる。
「私の存在価値はある」と信じてコートに入る。

整列、礼、ポジションへ……
(あ、今まで外から見てたのに、今は中にいる……)
心の中で思い浮かんだのは今までの景色だった。

膝の震えは、気がつけば止まっていた。
私の後ろには仲間がいる。

この試合ではかなりがむしゃらに動いていた様に感じる。
考えて動けていたのだろうか?
どちらかといえば、本能に近いもので動いていた気がする。

信じられないことに、アシストもした。
しかも、非利き足でのパス。
私を静岡県選抜に引き込んでくれた、大恩人へ真っ直ぐに。

初めての公式戦は3対1で勝利した。

監督は「次もそのままで大丈夫」と笑っていた。

◎次戦

vs .エストレージャ愛知
初めてソーシャルフットボールで出会った女性選手がいるチーム。
仲間からも「リベンジをしたい」といつも聞いていたチーム。
自分の目でこのチームは強いと名古屋まで行って確認したチーム。

できることは全部やろう。
ミーティングで聞いたことはできる限りやろう。
自分が積極的に、攻撃的になっていくのがなんとなく分かった。

自分の中にいる「攻撃性の強い自我」が、
こんな風に、力を発揮するなんて知らなかった。

(なんで選手は何十分もプレーをしてて、
 鮮明に自分のプレーを覚えているんだ?)
その答えは、この試合で身をもって知ることとなる。

相手ゴレイロのこぼれ球を右脚のアウトサイドで転びながらも詰める。
入らない。

仲間が作ってくれた広大なスペースで、トラップ。
自分の右脚で振り抜いたボールは、枠内へ。
入らない。

今でも、恐ろしい程に思い出せる。
これがコートの中にいて、主観で動くからこそ得られる記憶

でも結果は残酷だった。
0対5、敗戦。

◎結果

優勝は「エストレージャ愛知」となり、幕をおろした。
静岡県選抜は2位で大会を終える。

試合が終わった直後は、何も感じなかった。
でもチームで挨拶をするごとに、敗北が現実味を帯びてくるのが分かる。
ミーティングをする頃には、涙が止まらなくなっていた。

スタッフの方は、
「日に日に上手くなってるね!シュートすごかったよ!」と
声をかけてくれる。

(うん。だって、日本代表に教えてもらったもん。)
(でも、一点も入んなかった。)
(これが「悔しい」んだ。)
悔しいをここまで実感したのは初めての経験だった。


帰りの車内でのことは、ほとんど覚えていない。


◎翌日

正しく「バーンアウト」「燃え尽き症候群」
中身が空っぽになったように感じた。
それと同時に、ソーシャルフットボールの存在が如何に大きいか知った。

続けよう。
健康のためにも、モチベーションのためにも、リベンジのためにも

選手活動を選択してよかった。

予選の突破はならずとも、
私自身の暗雲を突破するには十分な1日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?