もし私がそこにいたなら

大学の授業で感じたこと。


大学では、理系も一定の単位数、文系科目を取ることになっており、私は今国際理解教育の授業をとっています。そこで3.11に関する話がありました。

もちろん高校でも、3.11に関する話はたくさん聞いたし、何が起きたかも知っている。ただこれまでと違うのは、私のとなりに福島出身の人がいたことです。

高校では、もちろん親戚が東北にいる人はいたけれど、出身はほとんど関東でした。しかし大学に入って、色んな地域からきた同世代と出会って、3.11の意味が自分の中で大きく変わった気がします。


授業のテーマは「国際理解教育」だし、シラバスにも3.11の話をするなんて書いてなかった。私が、彼女だったら何を思うんだろう。不意打ちに津波の画像を見せられて。

次の授業では、津波の映像も見ました。普通そういう時って、途中で気分が悪くなったら無理に見なくていいとか言いますよね。そういった配慮もなく、正直戸惑いました。



触れられたくない話題って誰にもありますよね。

自分はなにも悪くないし、誰からも責められてないのに、「被害者」として扱われることで、全員に対して申し訳なってしまう話って、皆持っている気がします。



あと、自分の故郷が、自分から引き離される感覚。印象に残ったのは、展示ケースに入れられた黒板とピアノです。もし、私があの黒板を書いていた学生だったとして、もし私があのピアノを鳴らしていたなら、あの展示室に隔離された思い出を見て私は何を思うんだろう。

自分と友達と家族のなかで共有すれば、それだけで十分なはずの思い出たちが、自分から引き剥がされて、記念館に飾られてしまうのは、耐えがたく寂しいんじゃないかと思います。主観的な体験を、客観的な事実として淡々と述べられてしまうのは、あまりにも大きな痛みが伴うのではないか。



思い出が取り上げられる一方で、忘れ難い経験が蘇るなんで、残酷すぎます。



ここまで書いてきたことは、すべて私の想像です。なんの根拠もないし、なんの主張もない。

ただ、なぜだか、思い出が引き剥がされていく感覚が、自分の中に沸き起こっていてもたってもいられなくなったので、感じたことを文章にしました。




おわり

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