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2021年1月23日11時13分

■ただの備忘録として、この日を忘れないために。


1月23日午前11時13分。父が旅立った。


2019年頃だったと思う。父とこんな話をしたことがある。

1964年に行われた東京オリンピックを観て、今度の2020年に行われる東京オリンピックを観たら、もういつ死んでもいいな、と。両方の東京オリンピックを観られたらそれでもう思い残すことはないな、と実に楽しそうに言った。そのときの俺は「そうか」と、そんなつまらない返ししか出来なかった。

そんな父が今日、旅立った。

本来ならば去年行われるはずだった東京オリンピックを観るのを心から楽しみにして、観てから死にたいと言っていたその願いは遂に叶わなかった。ドラマや映画とかの世界ならば観るまでは死ねない的なストーリーにでもなるのだろうか。しかしながら現実は現実。全くそう上手くはいかないものだ。

朝だった。

病院の医師からお父様の容態が急変したとの連絡あり、病院に向かっている。心臓が弱っているところに肺炎を起こして人工呼吸器や心臓マッサージで延命しているかなり厳しい状況らしかった。

病院へと向かう電車の中で延命措置を取っているがもう医学的には死亡している的な連絡が入り、あとはもう死亡の認定を待つのみだったので、死に目に会えた・・・とも素直に言い難い。駆けつけたときには意識が無いどころかもう死んだと同義であったからだ。

奇跡体験!アンビリバボーにあるような、息子である俺が駆けつけて声をかければ、それこそ奇跡体験的に意識が回復し・・・ということも薄っすらと期待はしていたけれど、そういうことも特に起こらず。しかしながら現実は現実。全くそう上手くはいかないものだ。


そして午前11時13分。診ていただいた医師によって死亡宣言がなされた。


涙は出なかった。


実感がわかないから、とか、色々と対応に忙しくてそれどころじゃない、とか、そういうことでもない。


父親に対する複雑な感情がそこにはあったからだ。


父親の記憶。


幼稚園の年長ぐらいだろうか。

泣きわめく母親に、その向こう側にいる男性が奥さんと思しき女性に対し厳しく叱責している惨状。

その当時、父親は浮気をしていた。

相手の女性は既婚者であり今でいうところの不倫というやつである。当然ながらその当時の俺がそんなこと分かるはずもない。母が父のスーツの上着をビリビリに破いている姿が脳裏に焼き付いているぐらいで。

その頃、すでに家庭崩壊の兆しがビンビンに出ていた。

父は女性にだらしない性格をしており、またその当時の人間にしては高身長で顔も甘いマスクをしていてモテていた。大手の会社に勤めて経済的な余裕があったのも影響していたのかも知れない。それが度重なる浮気につながったのだろう。

父と母は仲が非常に悪く、小学生高学年ぐらいにはほとんど家には帰らず、中学生になると連絡が途絶えた。いわゆる蒸発というやつである。

そこから約15年という年月が過ぎ、すっかり父親の記憶が頭からなくなっていたそのころ、唐突に電話がくる。

「お父さんだよ」

「えっ・・・?」

「お前のお父さんだよ」

受話器越しに「お前のお父さん」と名乗る男性の声。かすかに記憶していた声とも一致しているようにも思った。教えられたリハビリテーション病院に行くと、車いす姿で現れた父は脳出血で左半身がマヒしていた。

蒸発をしたあと。あれから会社を興してバブルの影響もあって大儲けした。そして違う女性と生活して幸せに暮らしていた。高級外車を乗り回して側溝に脱輪。ジャッキを入れて思いっきり息張ったところ頭の中でプチンという音が聞こえ倒れたらもうこの状態だった。一緒に暮らしていた女とも別れた。これからはお前たちと一緒に生活したい、と一方的に言った。

当然ながら母も妹も猛反対し、一緒に生活する話は流れた。

俺も「今さらどの面下げて連絡してきやがんだ」との思いは正直あった。いや、もしかしたら今でもあるかもしれない。

でも、後述するが父からかわいがられていたのは事実である。家にいたころはよく色んなところに連れて行ってもらったし、ゲームも買ってもらった。当然悪いところばかりではない。

その複雑な思いが俺を苦しめる。

これだけ見ると父親が酷くて母親がかわいそう、となるかも知れないけど、実は母親の方も相当なものであった。

母親は無類の酒好きでありパチンコが好き、おまけに自分勝手で嘘つきでお金にだらしなく、父親からもらった給料は、ほぼ全部お酒やパチンコなどに消えた。

父がいたころはゲームを買ってもらったり、美味しいものを食べに連れて行ってもらったり、それなりに充実した生活を送っていたのだが、蒸発して母親だけになってからが地獄だった。

当然お金は無く、しかも母は度々具合が悪いとか言って仕事する気もないので家の経済状況は貧困を極め、常に借金取りの取り立てに怯え、電気ガス電話が停まった状態での生活を余儀なくされ、それによってイジメなんかもあって、本当に思い出したくもない時代であった。そして社会人になってからも長らくそのときの借金返済に苦しむことになる。

要はどっちもどっちなのだ。当事者の子どもからしたら。

今になって思えば、常にケンカが絶えなかったのは恐らく同族嫌悪のようなものだったのだろう。女にだらしない男と金と酒にだらしない女との。

母が酔っ払っていると父は露骨に機嫌が悪くなった。しかも母は酒乱の気があり非常にたちの悪い酒の飲み方、酔っ払い方をするので、めちゃくちゃに激高した父は本気で殴って母の顔は四谷怪談のお岩さんのようになっていた。2人のケンカで窓のガラスも割れ、近所の人から警察が呼ばれることもしばしばあった。

両親のケンカに毎晩のように来る借金取り。そんな心がひと時も休まることのない家庭。おまけに貧乏な家の子はイジメられる。

包丁を握りしめ、死ねば楽になるのかな…とも思った小学4年生のころ。

もしもこの人が蒸発せずちゃんと家に帰ってきていたら、その後の俺の人生、少しは変わっていたのかな。母の方の問題は当然あるけども。


ベッドの上で既に息を引き取った父をぼんやりと見ながら、本当に様々な思い出が走馬灯のように頭の中でグルグルと回る。


子どもは親を選べない。

俺が欲しかったのはたくさんのお金でも、大きな家でもなかった。

ただ、家に帰ればいつもお父さんとお母さんがいて、いつもみんなでニコニコ笑っている、そんなおうち。欲しいものはただそれだけだった。


それでも、砂を噛み煮え湯を飲まされるような目に遭っても、それでもこうして今まで生きてきて、そしてこれを書いている俺が今この世に存在しているのは、やっぱりこの人のおかげなのだ。


色々思うところはあるけれど、本当に今までありがとう。

俺もそのうち行くからそれまでは向こうでも頑張れよ。


東京オリンピック。


今のところどうなるのか全く分からないけど、もしも、万が一でも開催されることがあったら、その時は空のどこかから、好きなだけ見てくれよな。



そして、皆さま本当に暖かいお言葉いただきありがとうございます。その暖かいお言葉一つ一つにめちゃくちゃ元気づけられました。この場を借りて皆さまに深く感謝を申し上げます。




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