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見てみぬふりをしていた”フタ”が開いたとき

自分の発信を今度こそ、本気でしようとすると
出てくるいくつもの問い…

溢れる問い

私は、歴史の何を発信したいのか?
私は、歴史の何が知りたいのか?
だれに、どんな情報を届けたいのか?
読者に歴史を知ってどうなってほしいのか?

どんな仕事がしたい?どんな働き方がしたい?
さらにいうと、ライターとしてどんな記事が書きたい?
誰から仕事依頼がほしい?
歴史ライターになるには、どうしたらいい?

問いを重ねるにつれて、

かつて「歴史で食べていく」という夢を、無意識のうちに諦めていた
ことに気がついた。

でも、知らなかった。
逃げ続けていたってことを。

だって、とっくに解決したと思い込んでいたから…。

気づかないうちに逃げていた私、奥底に巣食うのは自信のなさ

私が歴史で食べていくことを諦めたのは、おそらく、大学生の頃だ。

史学科に進んだ私は、
「歴史で食べていくなんて、狭き門だ」
「大学院なんぞ行ったら、高学歴ワーキングプアになる」

「理系の方がもうかる」
「こんなオタクな学問…」
などというように、
周囲の声と、自信のなさ、自身のひねくれたモノの見方によって、
歴史を学びながら、自分のやっていることを心のどこかで見下していた。

再び歴史を志したつもりでいたが、まだ逃げていたんだ

時は流れ、鬱々と子育てをしていた(正確には、義両親との同居が嫌すぎて鬱々していた)
私は、子どものためにもこのままではいけないと、一念発起。自分を変えようと、あれこれ行動しはじめた。

そして、封印していた”歴史”を発掘。
「自分のやってきたことをコンテンツにしよう」と学び、もう一度、歴史に目を向け始めた。

日本史専攻だったため、世界史の知識がない。
まずは世界史をいちから勉強し直した。
「おもしろい!もっと知りたい!」
好奇心の炎に火がついた。

やっぱり、歴史でいってみようかな…。

当時はブログブーム?ブログをやらなきゃと、ワードプレスを開設。

だけど、しっかりリサーチして書いたはずなのに、自分の文章に自信がない。
「こんなものだれにも見せられない。」
「こんなもので稼げるわけがない…」
そんなふうに思いながら、書いていた。

マネタイズを知らなかったし、歴史アフィリは厳しいのはもっともだ。
だけど、一番足を引っ張っていたのは、やっぱり自信のなさや自己否定だったのだと今なら思う。
それに、読者視点というものもなかった。
フォーカスは常に”自分”だった。

1円も稼げないまま(そろそろお金を稼ぐ必要に迫られ)クライアントワークに移行したときには、心の中で「ほら、見たことか、歴史ブログは稼げないんだ。自分には無理なんだ。」
と言っていた。

そんなわけで、ブログを書いても、稼げない。
「自分は稼げない」
「歴史は稼げない」
無意識にそんな二重の思い込みがあったんだと思う。

そのあと、Webライターをはじめて、ようやく自力で稼げるようになってきた。
(それでも現在でライターをはじめて4年8ヶ月。Webライターラボに入って、2年10ヶ月の月日が経っている)


自信のなさは”肩書き”にも”ポートフォリオ”にも

ようやく肩書きに「Webライター」をつけたのは、Webライターラボに入ってからだった。

その後は「歴史ライター」といえずに「歴史好きライター」とごまかしていた。
歴史系記事での実績がないし、できない自分がバレるのが怖かったのだろう。

ポートフォリオもずっとごちゃごちゃしていて、一体なにが得意なのか分からない様相を呈していた。
実際のところ、歴史系の公開できる実績は今でも少ない。
だからそれを隠すためだったのかもしれない。

ターゲットを定めなかったのは、失敗したくなかったから。
特化ジャンルを「歴史」と「Web3」に絞ったのも最近のこと、ポートフォリオを大幅にカットしたのも、数日前だ。(Webライターラボの東本さんの講義をきいて)

たぶん「歴史」って決めちゃうのが怖かった、自信がなかったんだな。
自信のなさや失敗の恐怖は、とっくに乗り越えたもんだと思い込んでいた。
でも、違った。
方々にそれは現れていたのに、気づかないふりをしていたんだ。

今度こそいけそうな気がする

今回、発信の強化をするラストチャンスだと思って、向き合う覚悟をした。
すると、自信のなさや恐怖、思い込み、隠してふたをしていたことが、次々に飛び出してきた。

専門学校や大学院のころ、そして、ライターになってからもそうだけど、
自分のやりたいことをまっすぐにやっている人を
心のどこかでうらやましいと思っていた。

「どうしてこうもひねくれちゃうんだろう?」
「どうしてあの人みたいに、まっすぐに生きられないんだろう?」って。

大人になるにつれ、素直になり、自分の思いに正直に生きられるようになってきたのは、とても実感している。でもそれなのに時々…

「自分もまっすぐに生きているつもりなのに、なぜもやっとするんだろう?」
「大学院時代の友人が、博物館で働いていると知って、少しうらやましく思ったのは、なぜなんだろう?」
と、モヤッとすることがあった。

今、その疑問がとけた。
自分の本当にやりたいことを、まだやれていなかったからだ。

「歴史では食べていけない」という思い込みを手放そう。
「自分にはできないかもしれない」という自信のなさや恐怖も手放そう。

歴史で食べていくということは、
歴史の研究者や博物館、文化財課などで働くという選択肢もあるが、それだけではない。

私には「書く」という武器があるじゃないか。

今度こそ「歴史ライター」を目指してみようと思う。

P.S:最後の2文、書くの、少し怖かった。笑


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