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映画レビュー『アメリカンビューティー』(1999)

感覚と時間は不可分

静止した絵をみやるときですら、
何かを感じるには時間が要る

音楽に至っては、
時間がなければ存在できない

しかし時間には尺度がない
感覚的にも物理的にも時間は相対的なもの

なので誰かが何かを感じるために必要な時間は
それぞれ異なり、
ある事柄に対して感動したり悲しくなるまでが
数秒だった人もいれば、数年かかった人もいる

しかし、それは短いとも長いとも言い得ない

そう考えた時、
人と人との間で"感性が違う"ということには、同時に"時間が違う"ということが混在している

ならば、人生で出逢う人や物や事に対しての
見限りや諦めといった"予測的"なものは、
あまり意味がないことになる

"経験則"も"年齢"も同様

それらは相対的である時間を絶対化して認識することによる産物だからだ

このことは一見希望のように思えるが、
希望も期待もまた、"予測的"だ

したがって、感覚的なことについては希望も不安も意味がなく、ただ可能性が常に開かれている

「青春とは可能性が開かれた状態」と誰かが言っていた(ライムスター宇多丸さんだったw)

感覚を感覚として失わない限りは、
常に青春ということになる

アメリカンビューティーもそんな映画だったなと思った

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