身体感覚から傷を探る
約1年間カウンセリングに通いました。
昨日のカウンセリングは今までのカウンセリングの集大成のようなセッションだったため、個人的なことをツラツラになりますがメモしたいと思います。
1年間の変化
わかりやすい変化は「カウンセリング中に聞きたいことメモ」や「不安なことリスト」を作らなくなったことです。
以前は悩みがたくさんあって、聞きたいことを網羅したい、変な話(?)をしたくない、時間をムダにしたくない的な想いからメモを持っていっていました。
最近でも「これは聞きたい!」ということがあればメモをとっていますがセッション中に起きる「偶然の産物」の方が私にとって価値があることに気づいてからは、とりとめもなく話している中でセラピストさんや自分がひっかかる点について掘り下げる形に変化していきました。
まず、この「どうでも良い話」「とりとめもない話」を他人とするのが難しい方もいるのではと思います。
「なるべく人の時間を奪ってはいけない」
「有益なことを話さなくてはいけない」
「論理的に相手に伝わるように整理して話さないと」
特に仕事をしていると、こういった思考の割合が大きくなり井戸端会議的な話をする機会は減っていきます。(コロナ禍は特にそうなっていますね)
カウンセリングでは心理的に安全な場を作ってもらえるので、こういったどうでも良い話をできることが、まず人間にとって癒やしにつながるのだと思います。
セッション中に見つけた記憶の勘違い
私がメンタル疾患を発症したのは17歳のときでした。
そして、これを治そうと何10年も格闘してきたワケですが、それは小学生の時に起こった「父の突然の死」がトリガーだとずっと思っていたのです。
詳しくはこちらのインタビュー記事にあります。
それは間違っていたことが昨日のセッションでの大発見。
日付は少し巻き戻り、とある日に書類整理をしていて「はじめてのWEB制作レポート」というものを見つけました。これは父が亡くなった1年後くらい(小学校6年生)に書いたものです。
このレポートを読んだ時にその時の記憶や身体感覚がふと蘇ってきました。
それでビックリしたんです。
めちゃくちゃパワフル!
父が死んですぐなのに悲しみとかあまりなくて(笑)
パソコンって楽しい〜!知らない人とと繋がれるのが嬉しい〜!という子供のハツラツとしたエネルギーでした。
『あの時のわたしは今よりずっと元気だったし、可愛そうな子なんかじゃなかったんだ』
と、ハッとさせられました。
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この一連の出来事をセッションで話したところ、「ここに今の苦しさを探るヒントがありそうだ」となりました。
今の私の悩みは「楽しいと思うことをできないこと」であり、すべて「仕事にできるか、稼げるか」という観点で見てしまうことでした。
この呪縛のような思考は自分の中での対立を生んでいました。
「昔のように好きなことを楽しいという感情でしたい」という思いと「それを有益なこと(お金にならなければ)に昇華しなければ意味がない」というエネルギーです。
後者のエネルギーは実に資本主義社会を投影しているもので、黒っぽいスライムのような感覚。
一方で前者のエネルギーは子供の頃を思い出した時の太陽のような暖かさでした。
ではこの太陽のようなエネルギーはいつ途絶えたのか。
これが父の死ではなく、好きなことをしている自分を母親にとめられた時からでした。
具体的には「ネットで知り合った人とオフ会で会うこと」「ネイリストになりたいという夢を否定されたこと」でした。
(今となっては母親がネットで知らない人と会うのを否定する気持ちはわかります)
2つの出来事は高校受験の手前くらいの時期に起きたことだったかと思います。
受験を期に好きなことを心の中から削ぎ落として、勉強に没頭しました。
エネルギーを勉強にしか使えなくなって、そこに過剰にのめり込んだ結果、精神的なバランスが崩れたんですね。
これを期に自分の体感覚が変わったのが、セッション中にハッキリと理解できました。
大人になった私はどうバランスをとっていくか
私の中で戦っていた光と闇ですが、最終的には「闇」も必要であるという結論になりました。
セッション中での「闇」は世間や人の目、資本主義的思考でしたが、3次元的肉体をもっている私は「闇」と感じてしまっている世界に間違いなく生きていて、そこは否定できない事実です。
子供の頃は「楽しい」という無邪気なエネルギーだけでも良いかもしれませんが、そればかりでは「社会という文脈の中で生きていく術を身につける」という「大人ならではの成熟」の過程が無視されます。
そんな中でどのように折り合いとつけていくかを探ってみました。
私の場合はですが、「闇:1割」「楽しさ:9割」のようなバランスもあるということを学びました。
バランスというと「5:5でなければいけない」と思っていたり、「ずっと安定した割合をキープしなければ」と思っていましたが、そんなことはなく流動性をもったエネルギーの使い方もあるのだと。
今、目の前で起きている状況によって割合は常に変わって良いのだということが腑に落ちました。
わかってしまえば当たり前のことではあるのですが、私とっては大発見でした。
この体感覚が腑に落ちると、さっきまで対立していた光と闇が一体化し、色味が変化しました。
(この色味などは正解はなく、自分がその時に感じたイメージです)
これは以前書いた統合の感覚ですね。
まだまだ2元論で考えるクセは抜けておりませんが、「どちらか一方が正解」なのではなく、なるべく多面的なあり方・見方を意識に取り込んでいきたいと改めて感じました。
やっぱりウィルバーのこのフレーズが好き。
世界に存在するあらゆる視点は必ずある真実を内包する。
従って、必要とされるのは、存在する多数の視点のうち、どれを最も正しいものとして選択するかということではなく、それぞれの視点が内包する真実を認識・尊重したうえで、それらがどのように相互に関係しているかを理解することである。
ーケン・ウィルバーのWikipediaより
自分の「傷の探求」はこんなにも意識や視野を広げてくれると思うと、傷は深い人生を生きるのに必要不可欠だとすら思えます。(痛いけどな 笑)
サポート頂いたら嬉しくてエクストリーム土下座します!!