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むすび(結論)

ここまで、デビューした2016年4月から2019年2月の最新作までのシングル表題曲8作品を見てきた。


 グループのイメージを強く印象付けるデビュー曲である「サイレントマジョリティー」は、短調を使用し、軍隊のように整然としたなダンスから自分らしさを出したバラバラのポーズもある、幅広いダンスを繰り広げていた。「サイレントマジョリティー」=「物言わぬ多数派」が多い現代に向け、その風潮に負けず、思ったことは自分で発信して行くんだと主張している。大人に言われた通りすることが良い子とされ育てられるが、だからと言って自分を押し殺す必要はあるのか?そうやって来て、自分たちに同じように教える大人たちは生き生きとはしておらず、「その目は死んでいる」ように僕には見える。僕はそうはなりたくない。誰もいない道を、自分の夢の方に、行きたい道を歩くんだと主張しながらも宣言しているかのように聞こえる曲だ。「欅坂46」=「笑わないアイドル」とイメージ付けた、グループにとっても、ファンにとっても大切な1曲である。


 2曲目の「世界には愛しかない」は演劇部の女子高生が、ポエトリーリーディング しているような姿が描かれている。マイナーコードを多用していることは1曲目と類似しているが、どこか爽やかな、疾走感のある曲調になっている。大人や社会を敵対視していた主人公は、君がいるおかげで自分に正直になれた。そのことによって、「僕」の世界には敵対関係である「大人」以外の「君」という存在が生まれ、愛という見えないものを信じるようになったと考える。


 3曲目の「二人セゾン」は、欅坂46の中でも珍しい恋愛ソングで、ファンの間で人気の高い曲だ。この曲のMVには、監督がメンバーに伝えたこと、つまり、今しかない、永遠ではない欅坂46でいるこの瞬間を大切にして、仲間と共に過ごしてほしいという意味が込められている。また、我々聞き手にとっては出会いと別れを繰り返す中で人は成長をしていくこと、そして、自分に飛び込んできてくれるような、自分のことを理解しようと努力してくれる人がどこかにいるという勇気や希望を与えてくれているような曲である。しかし過去2曲と同じように主人公は大人や周りに対して不信感を持っていることは変わらない。


 そして、4曲目の「不協和音」は、グループとして2度目の出場となった「紅白歌合戦」で披露し、多くの人に欅坂46が認知されるようになった曲の1つである。「サイレントマジョリティー」にもあった大人への反感にも似た、主人公「僕」の葛藤が描かれている。「僕」と社会・「僕」と「君(仲間)」、それぞれの間で生じる対立を不協和音と表現し、調和することが全てなのか?それが本当に正しいことなのか?と考えさせられる歌詞になっている。既成概念を壊せ!意思を貫け!と今までの楽曲でも「僕」が主張していたことが強く訴えられており、バラバラだから気付くことがあり視野が広がるんだと教えてくれてもいる。「サイレントマジョリティー」同様、「自分を殺す必要はあるのか?」と問いかけているが、決定的に違うのは、本楽曲での「僕」には迷いがなく、「君」に対してその考えを訴えていることだ。2・3曲目を通して視野が広がった、成長した「僕」だからこそ、本楽曲では自分の考えを曲げず、他者に訴えることができている。


 5曲目の「風に吹かれても」では、初めてMVで笑顔を見せている。今までの4曲とは違い、主人公「僕」が人生を楽観的に見ているような言葉が多く見受けられる。1~4th で様々な経験をし、様々な人と関わった中で、自分が思っていたよりも人生は長いと知り、その長い時間を楽しもうと新たに思い出したのが本楽曲ではないかと感じる。また、2nd・3rd に続いて、新たな人物との恋愛の模様も描いている。1つの形にとらわれない、現代に求められている多様性を「That’s the way」という言葉を連続して使用し、且つ、「ハグでもキスでもない 曖昧なままで So cool!」というフレーズから、他人や世間の持っている価値観に囚われない新たな関係性を打ち出している。1つの形にこだわることなく、自分たちに合ったふさわしい形を探し、貫くという点や、自分の芯を曲げずにまっすぐでいるところはこれまでにも通じるのではないだろうか。


 6曲目の「ガラスを割れ!」では、「サイレントマジョリティー」「不協和音」に続く、我々若者に対して自ら考え、自らの意思で動くんだ!と訴えかける曲となっている。現状を打破することは容易ではない。しかし、打破しない限り大人やルールに縛られ、いつしか自分を見失いNoと言えなくなってしまう。打破するためには、自分で作り上げた「想像のガラス」を割り、自らの意思を強く持ち行動して行く必要があると伝えている。


 7曲目の「アンビバレント」には、それまでの曲とは違う点が多い。まず、主人公の一人称が「私」であり、女性か男性かわからない。そして、今までの曲の主人公は、1つの芯を持った、自分の考えを曲げずに貫き通す・周りに訴えかけるような姿を描いた曲が多かった。しかし、本楽曲では曲名にもあるとおり、「アンビバレント」な、相反する感情や考えの間で揺れ動き迷い模索している姿を歌っている。だが、その中にも「私だったら」と自分の意見を主張するフレーズもあり、全く自分の意見を持っていないわけではない。様々なことを経て視野が広くなった主人公だからこそ、見える世界を受けての悩みなのではないかと考える。また、衣装・MV共に「白と黒」を基調としており、色を使用して、視覚的にも相反する、「アンビバレント」の意味を助長している。そして、ダンスでは衣装を使ったダンスや、発展させたサイマジョポーズなど、これまでになかったことを取り入れているのも特徴であり、グループにとって挑戦的な1曲であった。


 そして、8曲目の「黒い羊」では、今までになくメンバー1人1人に役があったり、歌唱衣装ではなく別の衣装でMVを撮影したりしている。また、また、映像が繋がっているように見える工夫がなされており、1つの物語を見ているようなMVである。自問自答をしていたり、「そうだ 僕だけがいなくなればいいんだ」と自分の中で答えも見つけ解決していたりする様に見える。最後も、周りに自分の考えを主張しているかと思いきや、「ここで悪目立ちしてよう」と自分が黒い羊であることを分かった上で、どう行動しようと言っているのであって、周りを巻き込むために何かを起こしているわけではない。MVでは、ワンカット撮影と思わせる様な、途切れのない映像になっているため、より物語に引き込まれる。監督やメンバーも言っていた様に、1番・2番・大サビと曲が進むにつれ、建物も階数も1階・2階・屋上と上がっている。そして下の階では「絶望の共有」というフレーズがあった様に、黒い羊である平手を受け入れる、受け止めるものは少なく、自分が抱えている問題の当たりどころになっているかの様に扱われている。そんな悲しい「ハグ」を繰り返していくうちに、周りも徐々に平手に心を開き、屋上では平手と「ハグ」をし、受け入れ、分かち合っている。それぞれが置かれた環境の中で「黒い羊」になってしまい、それでも、ほかの集団=世間と言う大きな枠組みで見たとき、せめて「白い羊」でいたいと言う願望からか、平手を突き放している様に感じた。だが、「黒い羊」でいることがそんなにいけないことなのだろうか?「自らの真実を捨て」=「自らの考えや主張を捨て」それでも「白い羊」になることが、果たして時本当に正しいことなのだろうか。本楽曲は、他人に指を差されても、自分が正しいと信じたことを行う、疑問に感じたことを発する、自分を捨てないこと・大切にすることを伝えている。



 ここまで8曲振り返ってきたが、8曲にはいくつかの共通点がある。

1つ目は、主人公が自分の芯を持った、考えを持った人間であることだ。「アンビバレント」では、それまでの経験からか、一度迷っているような、相反する感情が同時に現れ困惑している様子も見られたが、最終的に「僕は僕である」と、周りに合わせて無理をして自分を押し殺す必要はないと、芯を持ち訴えている。


 そして、2つ目の共通点は「大人や周りを信じていない」ことだ。反抗期・思春期に多くの人が抱く感情なのではないだろうか。自分たち若者(制服を着ている曲が多いため、中高生あたりの年代だと推定される?想定する。)に多くのことを指示し、ルールを説くけれど、説得力を持っていない大人たちに反抗心を抱き、主人公なりに戦っているように見える。その反抗の仕方が正しいのか、そうでないかはわからないが、今しかできない、今だからこそできる「僕」なりの反抗の仕方なのではないだろうか。


 3つ目は、「絶対的センター」である平手友梨奈の存在だ。デビューから全ての楽曲においてセンターを務める平手は1期生(グループ結成時最初期メンバー)の最年少だ(結成当時は14歳、中学2年生)。最年少とは思わせない存在感と表現力により、オーディエンスは曲の世界観へと一気に引き込まれていく。同じ坂道グループの先輩である乃木坂46も、当初はセンターを1期生の生駒里奈が務めていたが、デビューから5作連続でセンターを務めた後、6作目で同じく1期生の白石麻衣が抜擢された。欅坂46では、センターは平手から変わることなく作品を発表し続けている。1人の中心人物が固定されていることは、前作からの繋がりを感じること・同じ主人公であるように我々受け手に感じさせることに繋がり、主人公へのより強い共感が生まれるのではないだろうか。



 欅坂46とその楽曲は、学生時代に感じた疑問や不信感をストレートに表し、自分を貫く姿を歌っているからこそ、それを経験してきた大人の世代や、今まさに経験し、共感している学生から多くの支持を集めているのではないだろうか。人はなかなか自分の本心をさらけ出し、敵を作ってまで反抗しようという勇気を持つことができない生き物だと思う。そんな私たちの代わりに、彼女たちは声をあげ、表現し、体を張って伝えてくれているのではないだろうか。だからこそ、惹きつけられるパワーがあり、応援したくなる気持ちが湧き、パフォーマンスに魅せられる。そんな彼女たちが次に出す曲はどんな曲なのか、どんな気持ちを代弁してくれるのか。期待し、彼女たちがどのように主人公の心の叫びを表現するのか見守っていきたいと思う。