名前について
私は集団に属するとどうしても落ち着かなくなる。小学校高学年頃には既にグループ行動の居心地の悪さに気づいていた。移動教室などは10m先が目的地だとしても誰かと一緒に行動しなくてはいけない。「今日誰と遊んだか、行動したか」を親に毎日尋ねられるのはものすごくストレスだった。もともと詮索されるのが身内であろうと大嫌いで、子供らしくない変わった子供ではあったので親なりに心配していたのかもしれない。「移動教室」、今でもその単語が嫌いだ。友人はいたが、単独で居た方が身軽、そのスタンスの方が無理なく人付き合いができると、ある意味開き直れたのは高校3年生くらいからだし、本当に最近までオンライン上でも、なんとか仲間に入れてもらおうとしていた。それに気づいて少し怖くなった。「うまくやれている自分像」の中に、バランスよく普通に人付き合いができる自分、というものが依然としてあったことに。
でも、わかった。
本当に向いていないのだ。もう辞めたとおもっていたが、今も無理をしていた。
私は自分から仲間に入ろうとすると、かえって居心地が悪くなるし、不自然な感じになる。決して人との関わりそれ自体が心底嫌いではないのだけれど、とりわけ好きでもない。一匹狼の方が断然楽。どちらかというと好き勝手にふわふわと浮くように、心許した人と関われる方が自然体でいられる。
「すばる」というペンネーム、学生時代から使っているので、ちょっと前に、思い切って名前を変えようかなと思った。リアルで会う人には本名を伝えているから抵抗はそこまでないし。しかし、はたと気づいた。すばるとはシンプルに恒星のことだと思っていたが、ちゃんと調べてみたら「星団」、星の集まりらしい。つけた時は男女どちらでも捉えられる中性的な名前、かつ、ひらがな3文字の響きって良いなと思っていた。しかし、そうか、すばるって星のことなのかと改めてわかった時、星の集まりのようなスタンスでいればいいのかと、なんだか腑に落ちて肩の力が抜けた。私は勝手に色々話していますが、おそらく多くの人には響かないと思う。届いて欲しいとも思っていない。目的としては頭のおしゃべりを吐き出す、イコール書けばスッキリするので自分のために書いている。けれど、なんだかんだすばるが続けていられているのは、触れて響いてくれる人が必ずいるって、それこそ根拠のない確信があるからだと思う。弱い光かもしれないけれど交差する瞬間が一瞬でもあれば、こんなに嬉しいことはない。それは見えないしその時私はそこにいないと思うけれど、大事にしたいと思う。いつもorときどき見てくれている、私と同じで少し変わった人たちどうもありがとう。でも最近、苗字はつけてもいいかなと思っている。
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