ひみつ
自分の本名を変えて「◯◯子って呼んでね」と周囲に言っていた明るい女性は「40歳になるまで生きていないと思う」とはっきり言っていた。私は密かに100歳まで生きてやる、と思っていたので、その意味が当時よくわからなかった。
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追いやられたような場所にあるアトリエは、隣の部屋でインスタレーションが随時行われており、生ゴミの臭いが漂ってくることもあった。私はよくそこで寝ていた。池の近くに喫煙所があり今はどうなっているか知らないけれども、そこら中に訳の分からない掲示物が貼られていた。「女に生まれて良かったって、一度も思ったことない」と、当時20歳そこそこの、また別の女性は下を向いて言っていた。私はどのように返事をしたか覚えていない。大学の構内は広くて、窓からは畑と住宅街が見えた。リーマンショックが起こった。今振り返ると、もうすでにすり減らしていたけれど若さだけで修復していた。先の見えない就活で会社側に書かされたアンケートに「イタリアに留学したい」と馬鹿正直に記入した。誰にも言わずに「すばる」という名前で詩を書いていた。男性でも女性でもない名前が気に入っていた。詩は辛い時にどんどんこぼれていった。
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終電間際の電車内で偶然見かけた、あまり話したことがない同級生は、白髪混じりの男性に自ら腕を絡めていた。私に気づいていないようだった。男性は背広を着ていて、私の視線に気づくと、少しバツの悪そうな表情をした。教員なのかもしれない、と私の勝手な勘が伝えた。自分の武器を行使して煽っていたのは女性の方だった。講義を真面目に聴く大人しい姿からは想像できなかった。
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私は20歳を超えても敬語がうまく使えなかった。だから社会人になるのは難しいかもしれないと内心怯えていた。それでも社会という、わけのわからないところにとりあえず出てみて、やっぱり合わないなと思った。何もかもをなくしても、必要なものは昔から変わらずにあって、生きていくのは完璧じゃなくてもいいことを知った。それでもうまくやれなかった。頭ではわかっていても、一時の感情で動いてしまう。うまくやれなくて逃げて、生きてきた。逃げたらもう終わりだと思っていたけれど、そんなこともなかった。時代はいつもワンテンポ遅い気がする。私が浴びてきた言葉の一部は「呪い」とまで言われるような時代になった。
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努力でなんとかなるものと、ならないものがあることをようやく飲み込みつつある。もっと平たく言えば、自分の力でできることもあれば、どうしたってできないこともあって、そしてそれはすぐに答えが見つからない。100歳まで生きてやる、ともうあまり思わない。けれどきっと生かされている。完璧になれなくて、馬鹿げていると思いながら、わからないふりや、わかったふりをしたまま。でももうそれでいい気がする。生かされているうちは、生きていて。
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