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合わない

どうやら自分は、自分に注意を向ければ向けるほど社会にも関心が向く構造をしているようだ。そもそも自分の構造なのか、もはや制度や政治が生活に介入しすぎているので起こっていることなのかはわからない。いずれにせよ「自分のことばかり考えている」からこそ起こる現象で、自分に思いを馳せることと社会に関心を向けることは完全なイコールではないけれど繋がってしまう。自分について一心に考えるのはそんなに悪いことではないと思っていた。ただ頭がごちゃごちゃしすぎる。そして金曜日は働き過ぎた。重い身体を引きずり、サンマルクカフェのパフェを食べながらノートにむしゃくしゃを、書き殴る。先輩が言っていた「まあ私たちは雇われの身だから」とか。そう、まさにそうなのだ。どこに行っても金がまとわりついてくる。本当はいまの社会と繋がりを持ちたくない。一切持ちたくない。名も明かさぬ者が正論をふりかざしてこようが変わらない。仙人のような生き方もワンチャンありだ。あと国外脱出。少し落ち着く。明らかにあまり慣れていない店員さんが丁寧に作ってくれた、特に趣向のないパフェが美味しい。また行こう。思考が止まらないので、おさまる方法を探して本屋の心理学コーナーに行く。やはりピンとこない。やっぱり書いているときが一瞬でも落ち着いているからいいのだろうか。風邪薬のような対処療法ではなくて根治を目指したい。何に対して根治?治療っていうこと?思考が止めば私が私でなくなるのだろうか。本屋にいると落ち着くのは、場の空間が静かだから。この世には特に悩みがない人というのがいて、信じられないけれど事実なのだ。皆色々あるさ、と一掃することができれば、もはや自分でははくなるのだろうか。じゃあいっそなくなってしまえば楽だ。悩みがない人たちも、そういうふうにしているのか?人間をやっているのにいつまでもよくわからないでいる。
本屋の文化人類学のコーナーに行けば動物のように綺麗な瞳をした原住民シャーマンと目が合う。占いのコーナーで今月の運勢をチェックする。まったく解決にならないな、と思いながらもマドモアゼル愛さんの何気ない言葉がとても良くて胸を打つ。文法の類に全く興が持てないけれど自分の言語を持っている人に惹かれる。というわけで、どなたか文通しませんか文通しませんか、、、でもきっとこう思っている時点で自分と文通するのだろうな結局は。手紙形式の zineを作るか。もう少し疲労が取れた状態で、、、とか思っていたら寝落ちしていた。しかし夢の中でも何か言葉を発していたようで、目覚めは悪くなかった。そしてまた眠る。起きたくないし見たくない。夢の中で吉祥寺か下北沢あたりにいた。ケーキ屋は流行ってもすぐに潰れてしまう、と架空の店を嘆いていた。

山上容疑者のエピソードを知ると、擁護したい気持ちが湧いてきて詩には出てきてしまうのでやり場がない。課題解決なんてもはやできないのであれば、逃げる道筋の方がよっぽど「役に立つ」。インスタがこのままグロい画像をトップに持ってこようとするのなら、やめてやろうか。

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