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白い背景のあのブログ

私は引っ込み思案なので対人が苦手だと思っていたが、もしかしたら人のことが結構好きなのかもしれない。
だから誠実さに欠けるとムカつくし、世の中がちゃんとしてないと感じると、腹が立つのだ。一方的ではある。
基本的に人が好きだという驚くべき事実が、疲れやすさの原因のひとつなのではないか、と思ったのが発端でまとめきってない状態でいつものようにこうしてメモしているのだが、うまく言語化できていない気がする。まあいいや。今日は美味しいドーナツを食べられたので機嫌が比較的良い。

ブログがネット発信の主流だった頃、他人のブログを見るのが大好きだった。お気に入りのブログがいくつかあって、その中でも写真と短い詩、日記のような文章がアップされているブログが好きだった。シンプルだが密やかな感じがあり、独特の雰囲気があったそのブログは、今探しても見つけられない。消されてしまったのだろうか。
ブロガー(もうこういう言い方はしないのだろうか)の方は、当時、おそらくカメラを勉強している専門学生らしき女性で、年齢も自分とそこまで離れてなさそうだった。あくまで推測なのだが。ハンドルネーム(これももう死語?)が、自分が好きなアーティストの文字から一部取っていたので勝手に親近感が湧いた。

アップされた写真に既視感を覚えた。この光や空気の感じは知っている、と思った。まさかとは思ったが、空や土地の雰囲気が自分の実家の周りのそれに似ていた。写っていた電柱に、地名が明記されていて、なんと父方の祖母の故郷だった。しかも同じ町内だった。電車が通っていない、めちゃくちゃ辺鄙なエリアなのに、たまたまとはいえインターネット上で巡り合ってしまったことに驚いた。
私は祖母に対して良い感情を持っていない。名前を呼ぶこともここ10年くらいほとんどない。でも何故かネット上で祖母の故郷の風景、しかも美しく撮られたものを見つけてしまった。ものすごく奇妙な感覚がした。乾燥した太陽の光、砂埃、特に自然もなければ娯楽や文化も何もないただただ不便な場所。それほど昔でもない頃、電気が通っていなかったと聞いた。詳細は不明だが祖母は貧しかったらしい。

私の、人に興味がないと言っておきながら、それでもこうやって記録しようとする性分とか、スーパーで接客に対していきなり怒り出した老婆とか、そういうものを見て感じる既視感とか、不快感とか処理しきれないものは、嫌でもどこかで常にあの景色と繋がってしまっているのだろうか。もう全然よくわからない。

あのブログも写真と短文で「実家に帰った」とわかる文章が綴られていた。いやまさか彼女が自分と遠い類縁だった、ということもあり得る。別に人様のブログを見ることができなくても実生活に何の影響はない。ただ、ごくたまにだが、もう一回あのブログと写真画像を見たいなと思う。ブログやSNSの類はかなり儚いというか、いつ消えてもおかしくないものだと感じる。

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