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不自由です

結局今まで受けてきた教育や信じていた価値観はみんな出鱈目だった。出鱈目といったらなんだが、もう太刀打ちできない、効果がない。対処できない。もとい、最初からそうだったのだろう。ハナから問題だらけだった。日本は民主主義の国家らしいがよくよく考えると自由ではない。自由ではないと感じる。何が苦しかったのか、何を苦しめていたのか、何に苦しめられていたのか。
多分「こうなっているはずなのに」という理想と現実があまりにも違う。不自由さは、大人になれば選択の幅が広がるので少しはマシになったけれど結局は馬鹿みたいに高い税金や年金を支払わなければならないし、その場その場で植え付けられたちっぽけな価値観や感覚で社会とやらに立ち向かわなければならない。要するに特に何の能力もないのに金を稼がなければいけない。少なくとも自分はそうだった。それで、ああ不自由だな、とさっき降参した。不自由で、実態としては覆せる力がない。希望があるとしたら、著名な本のタイトル「置かれた場所で咲きなさい」じゃなくて置かれた場所で戦いなさい、ということなのかもしれない。こんな頭おかしい国に生まれたので、頭がおかしくならないように気をつけなくてはいけない。頭がおかしくなることを選んだ方がかえって幸福になれるのかも。でも獲得された幸福という概念も不明瞭でよくわからない。何かを一心に信じたい気持ちや意固地になる心境は理解できる。でも多分どこかで保てない現実を受け入れないと共倒れになる。国家もオワコンな気がする。戦争は終わったと歴史では教わったけれど、全然終わっていない。本当に終わっていたら今さら国旗掲揚がどうだとか騒がれないはず。半旗ってそもそもどこからの作法だ。戦後が全てが地続きで続いている。ケンカができない大人たちの論争の陰で何が動いているのか、騙されないように注意深く見ていないと足元掬われる。ミサイルが飛んでくる/こないかではない。そんなの知るか。身近なところに目を向けると、こんなに雰囲気がピリピリしているのはどうかしている。

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