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それは最初から知っていること

たまに無性に寂しくて悲しい夢を見る。
理由はわからないが、しんとした寂しさが一面に存在している夢。起きた後も余韻がしばらく続く。
それでも1時間も経たないうちに日常を、働かなくてはいけない。もうその時点では夢のことなどすっかり忘れて、そんなことは最初からなかったかのように人と話したり笑ったりしている。
夢というのは不思議だ。夢が普段見えない深層心理や無意識を表すものであれば、私が無意識に抱えている寂しさは、おそらく一生付き合うほかないのだろう。普段は上手くやり過ごしたり、見えないふりをしているそれら。
それは例えば誰かと一緒に生きてさえいれば解消されるとか、そういう類のものではない気がしている。私の個としての寂しさ、もっと言えば個として生まれてきた故にむしろ平等に与えられている孤独。
こちらから手招きする必要はないけれど、かと言ってあからさまに無視もできない。
遠くから静かに「大丈夫だよ」と声かけをしてみる。何が大丈夫なのかはわからない。
しかしほとんどわからないくらい、少し気持ちが軽くなる。向こうにいる寂寥感の塊みたいな、もう一緒にいるしかない感情。もしかしたら人はそういったものを悪魔と呼んだのかもしれない。忌み嫌われる傷や感情。

「知っているよ」
と呟く。
状況は何も変わらないし、むしろ変わらないからこそ虚しい。けれどわずかに湖面が揺れる。寂しさはむしろ人と関われば関わるほど深まっていくことの方が多い。
私はいちいち立ち止まっては見て傷ついて、別にだからといって強くなっていくわけでもない。無視すればいいものを上手に無視できない。逆に言うと見逃してあげられないのだと思う。
知っているよ。いつも一緒にいることを。それは最初から強く望んだことでもないけれど。
特に親しくもなれない巨大な孤独。基本的には怖いものだ。見えないようにいかにカモフラージュできるかが、幸せへの近道になっている現代。どうしていつだって本当のことが知りたいと思ってしまうのだろう。生きていくことはアンビバレントなことばかりだ。

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