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曇天

全部の責任から逃れられるなら、楽になるのにと思う。昼間のことを引きずって行き場のない燻りみたいのを抱えている。
そもそも責任なんて、本来誰にもないのに。
よく目を凝らしてみると、どうしてゾッとするような言葉が平然と幅を利かせているのだろう。ものすごくいいことのように思い込まされている。
世間の言う、いいこと。
でもそういう言葉にポジティブな印象を持ったり勇気づけられる人の方が多いのだ。当たり前だ。だから結局は、自分は黙っておこうと抑えてがんじがらめになって身動きが取れなくなる。背後にある声を出さないものたち。何かを否定することは誰かを傷つけることに繋がる。けれど嫌いなものや受け入れたくないものが多すぎて、もうこのままだと上手くやっていけないから、と思ってしまう。諦め。落胆。ほらね言った通りでしょう?と、意地悪なもう1人の自分が薄笑いでこちらを見ている。正解だけ見つければいいんだよ。正解だけ。私は弱いので表面でしか縫い付けることができなかった。嫌だな。怒りや衝動、安易な手段、わかりやすさに呑まれる前に。例え明日また鉄を飲み込むような不快さを覚えたとしても、感じないふりをする方がよっぽど怖い。嫌いなものばかりの中で、いつも光が欲しい、光が欲しいと思っていた。そして今も何一つ変わらない。はずなのに。

傘を持たずに外に出たら土砂降りで、雨に濡れることがそんなに嫌いじゃない。ただ、周りの視線が冷たい気もする。びしょ濡れのまま高校生の集団を抜かす。そういえば鞄の中に読みかけの本があった。時計もつけている。それらは雨粒から守りたい。水分でしわくちゃになってしまった本は惨めな気分になるので見たくなくなる。

気づいたら蛾が鞄に止まっていた。表面に無数についている水滴を一心に吸っている。私は蛾が一番苦手な生き物なので身体が硬直した。ゴキブリはそうでもないけれど蛾は人間を恐れずに向かってくるのでとても怖い。でも今ここで私が手を払えば、ぎゅうぎゅう詰めの車内の一部がパニックになる恐れがある。これは何のメタファーなのか?さっきまでずっと仕事のことを考えていた。世間は9月に入ったのに頭がうまく切り替えられていない。単純なミスで8月付のまま提出した書類のことなんかを考えていた。そんなことお構いなしに手元まで近寄り、ごくごく水を飲む蛾。ごくごく、というのはそう見えるだけで、僅かに振動している。怖い。可愛く思えないかな?と思ったけれど無理だった。予測できない動きが怖い。大人しくしている、そのまま大人しくしていてくれと思ったら、パタパタと飛び始めた。近くに座っていたサラリーマンが小声で驚きの声を上げた。私はさっきまで蛾が鎮座していた鞄を見つめる。慌てずに落ち着いて対処できれば、待つことができれば、案外穏やかに終わるものなのかもしれない。外は十分に静かなはずなのに頭の中はずっとうるさい。

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