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愛されたい。死にたい。
愛されたいと思う。“愛”が何なのかもわからないのに。愛したいと思わないのに。
“愛”は、双方向で成り立つものだと思っている。愛されていたとしても、受け取る側がそれを“愛”だと認識しなければ、それは愛されていないのだ。
“愛されたい”
なんて都合の良い欲求なのだろう。自分に与えられている“愛”を無視して、都合の良い“愛”だけを欲する。傲慢だ。“愛”を享受しないくせに。でも、だからこそ、求めてしまう。自分が欲しい“愛”を。一方通行の、ね。
見返りを求めない無条件の愛。それは多分、親から子へ、みたいなものだと思う。それすら怪しいけれど。
しかし、親がどんなに愛を捧げたとして、子が受け取るかどうかはまた別問題で、ともすればねじれの関係になってしまう。
愛されていた、と思う。でも、私にはそれは満足できるものではなかった。
愛されたい。その欲求は多分、親からという前提条件が付き纏うのだろう。そしてそれは、大人になった今、永遠に満たされることがない。
大人なのにこんなことを思うのは恥ずかしいけれど、見返りのない愛で満たされたかった。親に、愛されたと感じたかった。真実はわからないけれど、親にとって妹弟たちが可愛いのがわかってしまったその時から、私は私が愛される存在ではないと自覚してしまった。
どうすればよかったのか。もうわからない。一生満たされない欲求を抱えて、死にたいと思いながら死ぬ勇気もなく生きている。
ああそうだ、うん、愛されたいだなんてもうどうでもいいと思いたいのだ。その執着をなくしたい。だって死にたいのだから。ねえもう全部無くして死にたいの。愛されない自分だから。
どうせ死にたいし死ぬのに、愛されたいと思ってしまうのは、きっと甘えなんだろうな。
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