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『稲盛和夫一日一言』5/19(金)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5/19(金)は、「羅針盤なき航海」です。

ポイント:創造的な領域では基準とするものが何もない。そうしたときは、自身の中に羅針盤を求めて方向を定め、進んでいかなければならない。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、未踏の分野に挑戦する際の基準となるものについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 私は、真っ暗闇のなかを海図も持たずに航海するような状況で会社経営を行ってきました。また、それは経営だけにとどまらず、実社会を生きるうえでも、常に新しい道を歩いてきたと思っています。

 創業以来、京セラの歴史は人のやらないこと、人の通らない道を自ら進んで切りひらいてきた歴史でした。
 誰も手がけたことのない新しい分野を開拓していくのは容易ではありません。反面それをやり遂げたときの喜びは何ものにも代えがたいものがあります。

 そんなとき頼りになるのは自分たちだけです。一度誰かが通った道であれば、標識や道標のようなものもあるでしょうが、誰も歩いたことがない道には、そんなものは一切ありません。実際の地形や地面の状況を見ながら、進むべき道を自分で見極めなければなりません。
 そんなとき、私には心の中に羅針盤となる京セラフィロソフィがありました。経営や研究開発にフィロソフィなど関係ないではないかと思われるかもしれませんが、京セラフィロソフィとは、万般に通じる羅針盤となる考え方なのです。

 「人間として何が正しいのか」、それを追求することが京セラフィロソフィの原点です。つまり、何が人間にとって「善」なのか、あるいは、何が本当の「利他」なのか、ということは、たとえその対象が経営や研究開発であっても判断の基準として考えなければならないことなのです。

 善か悪か、利己か利他か、そうした基準で経営も研究開発も判断する。心を鎮め、純粋にして、自分の進むべき方向を自分自身で考える。それは大変厳しい生き方なのかもしれませんが、そうした生き方を習慣化することができれば、鋭い感覚が身につき、勘も冴えて、常に正しい判断ができるようになります。
 研ぎ澄まされ、洗練された勘が身についたからこそ、私は海図が状態にあっても、自分の人生を歩んでこられたのだと思っています。
(要約)

 今日の一言には、「創造の領域では、自分自身の中に羅針盤を求めて、方向を定め、進んでいかなければならない」とあります。

 人は自分が経験したことのない領域に踏み出そうとするとき、期待と不安」が入り混じった、何ともいえない複雑な気持ちになります。しかし、一旦立ち止まったとしても、いずれ心を定めて踏み出さなければなりません。

 芸術家の岡本太郎さんは、「私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた。そして、危険だという道は、必ず自分の行きたい道なのだ」という言葉を残されています。

 私たちは、大小さまざまな判断を繰り返しながら、毎日を過ごしています。自らの心の中に正しい方向を指し示す羅針盤を持つことができるかどうか。それによって人生はまったく違ったものになっていくのではないでしょうか。


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