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『稲盛和夫一日一言』 5月12日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5月12日(日)は、「信念、志、勇気」です。

ポイント:経営論や技術論をいくら習っても、道を究めようという強い信念、高い志、通気を持って臨まなければ、身に心に深く刻みこまれることはない。

 2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)の中で、西郷が最も厳しく戒めたものについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 西郷が最も厳しく戒めたのは、人が自分自身を高めていこうとする「志」を捨て、努力をする前に諦めてしまう心の弱さが出てしまうことでした。
 そして、楽な方、安易な方に流されるままに生きようとする人間の甘えを「卑怯(ひきょう)」という言葉を使って叱りました。

 先賢の高邁(こうまい)な知識をどんなに学んでも、経営論や技術論をいくら習っても、道を究めようという強い信念、高い志、勇気をもって臨まなければ、身に心に深く刻み込まれることはありません。いざ実践しようというときに役に立たないのです。

 目標までの長い道のりを前にして呆然と立ち尽くし、「自分にはとても無理だ」と諦めて前進を止めてしまうのは、甘えであり、逃げであり、卑怯者のすることだと西郷はいいます。

 どんなことでも、まず強く「思う」ことからすべてが始まるのです。「こうありたい」という目標を高く掲げて強く思う。それも、潜在意識にまで浸透するほどの強く持続した願望でなければなりません。
 寝ても覚めても途切れることのないくらい強いものであってはじめて、先人の教えを実践の場で生かすことができるのです。

 その道は茨(いばら)の道かもしれません。苦しいことの連続かもしれません。こんなに辛い目に遭ってまで、どうして「高み」を目指さなければいけないのかと迷い悩むかもしれません。

 しかし、固い志に拠って立つ人は、目標へと続く道筋が眼前から消え去ることは決してありません。たとえ途中でつまずいてもくじけても、また立ち上がって前へ前へと進むことができます。逆に、志なき人の前には、いかなる道も開かれることはないのです。

 同著の中で、人間にとって最も大切なものはその考え方と心の有様であり、つまるところ「人格」を高めることにあるとして、名誉会長は次の遺訓について説かれています。

【遺訓ニ三条】
 学に志す者、規模を宏大(こうだい)にせずばあるべからず。さりとて唯ここにのみ偏猗(へんい)すれば、或は身を修するに疎(おろそか)に成り行くゆえ、終始己れに克ちて身を修する也。規模を宏大にして己れに克ち、男子は人を容(い)れ、人に容れられては済まぬものと思えよと、古語を書いて授けらる。
 「恢宏其志気者 人之患 莫大乎自私自吝 安於卑俗 而不以古人自期」
 古人を期するの意を請問(せいもん)せしに、堯舜(ぎょうしゅん)を以て手本とし、孔夫子(こうふうし)を教師とせよとぞ。

【訳】
 学問を志し、知を深めようとする者は、その知識の規模を大きくしなければならない。しかし、ただそのことのみに偏ってしまうと身を修めることがおろそかになっていくから、常に自分に打ち克って修養することが大事である。知識の規模、範囲を大きくして、同時に自分に打ち克ち人間を高めることに努めよ。男というものは、人を自分の心のうちにすっぽり吞み込んでしまうくらいの度量が必要で、人から呑まれてしまってはダメであると思えよといわれて、昔の人の訓えを書いて与えられた。


 「其の志気を恢宏(かいこう)する者は、人の患(うれい)は自私自吝(じしじりん)、卑俗(ひぞく)に安んじて古人をもって自ら期せざるより大なるはなし」

 (物事を成そうとする意気を押し広めようとする者にとってもっとも憂えるべきことは、自己のことのみはかり、けちで低俗な生活に安んじ、昔の人を手本として、自分からそうなろうと修行をしようとしないことだ)

 古人を期するということはどういうことですかと尋ねたところ、堯と舜(共に古代中国の偉大な帝王)をもって手本とし、孔子(中国第一の聖人)を教師として勉強せよと教えられた。

 もともと立派な考え方、立派な人格を持った人があるわけではありません。人間は一生を生きていくなかで、自らの意志と努力で素晴らしい人格を身につけていくものです。

 特に多くの従業員を雇用し、その人生を預かっている経営者は、より大きな責任を負っているはずです。生涯をかけ、弛まぬ研鑚の日々を送り、人格を高め続けることが、経営者として身を立てる者の務めであるはずです。(要約)

 稲盛経営十二ヶ条には、以下三つの項目が含まれています。
 「強烈な願望を心に抱く」
 「経営は強い意志で決まる」
 「勇気をもって事に当たる」

 今日の一言にあるように、何事も「強い信念」「高い志」「勇気」を持って臨まなければ、我が身我が心に深く刻み込まれることはなく、決して実践で役立つものにはならないということです。

 努力をする前に諦めようとする心の弱さが簡単に出てこないよう、『日々精進』の気持ちを忘れずに生きていきたいものです。

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