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『稲盛和夫一日一言』 9月1日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 9月1日(金)は、「会社経営とは」です。

ポイント:会社経営とはマラソンレースのようなもの。創業間もないベンチャー企業は、マラソンの経験がなくても、同じレースに参加したいのであれば、100m競争のつもりで走るしか道はない。

 2002年発刊の『ガキの自叙伝』(稲盛和夫著 日本経済新聞社)の中で、「経営はマラソン」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 私は企業経営をよくマラソンに例えている。戦前から長く続く大企業などはいわば有名選手で、戦後、タケノコのように出てきたヤミ商人らは無名のランナー。旧財閥系も含め、それら有名、無名の選手がいっせいに企業戦争という長丁場のレースを走り出した。

 京セラの創業は1959年。終戦がスタート地点だとすると、先頭集団はすでに14キロほど先を走っている。そんな時、ようやく出発地点に現れた。しかも、長距離走にはまったくの素人で、しかも貧乏でシューズさえ買えず、地下足袋に股引(ももひき)というみずぼらしい恰好である。

 これまで一度も走ったことがないのに、いきなりフルマラソンを完走できるのか。本人にもわからないのだが、闘争心だけは人並みはずれて旺盛。
 出場すると決めた以上、全力を尽くそうと悲壮な決意を固めている。なにしろ、資金無し、人材無しの裸一貫。ままよ、倒れるまで突っ走るだけ、と過酷なレースを無我夢中でダッシュしていった。

 見れば進むほどに、歩き出したり、コースを外れて倒れ込んでいる人がいる。それを横目にひたすら歯をくいしばって前だけを見て大地を蹴る。
 ふと角を曲がって直線の見晴らしのきくところにきたら、二部上場という第二集団の後ろ姿が見えるではないか。よくぞここまで、と思わず叫びたくなった。

 上場初日の夜、滋賀工場のグラウンドで祝賀会を開いた。
 私は、「これからは、社員と家族のほかに、投資家や株主にも責任を負うことになる。つまり、勝ち続けなければならない宿命を持たされたことになる。どうせなら、田舎馬の根性を見せてやろうではないか」と呼びかけたのである。
(要約)

 当事者でなければ、このような姿勢を「後先考えない無謀な取り組み」だと一笑するのは簡単なことでしょう。しかし、基盤の脆弱な多くのベンチャー企業にとってみれば、いかにして会社を存続させていくのかということは、まさに死活問題であるわけです。

 今日の一言には、「百メートル競走のような無茶な走り方では身体が持たないと思う人もいるだろうが、遅れて参加し、マラソンの経験もないランナーには、それしか道はない。それができないなら、最初からレースには参加しないほうがいい」とあります。

 京セラの社史には、名誉会長のそのときの心境が次のように記されています。

 たしかに企業というのは長丁場です。今から何十年も走り続けなければならない。しかし、どのくらいのペースで走ったらいいのかということが、私にはわかっていないのです。わからないからこそ、全力で走るのです。

 ボチボチ走っても勝負にならない。一生懸命走っても長続きしなくては勝負にならない。どうせ勝負にならないのなら、せめてスタートだけでも一流ランナーと歩調を合わせてみようではないか。そう考えて、とにかく行けるところまで100mダッシュで走り続けていこうと走り出したのです。(要約)

 私も個人事業主として開業して2年目ですが、シニア起業ということもあり、心のどこかでボチボチといった気持ちがあるのは否めません。
 稲盛経営哲学を学ぶ者の一人として、素直にその姿勢を見直さねばと思っています。


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