見出し画像

『稲盛和夫一日一言』 2月27日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2月27日(火)は、「利を求むるに道あり、利を散ずるに道あり」です。

ポイント:利益を追求するにあたっては、人間として守るべき道理がある。また、正当な方法によって得られた利益であっても、その使い途(みち)は道理に沿ったものでなければならない。

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)「他を利するところにビジネスの原点がある」の項で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 自分よりも先に他人によかれと考える。ときに自らを犠牲にしてでも人のために尽くす。弱肉強食のビジネス界にあっても、あたたかい思いやりの心をもてるかどうかで、そこは極楽にも地獄にもなる。

 私はそうした「利他の心」の必要性を幾度となく社員に説いてきました。よい経営を続けていくためには、心の底流に「世のため、人のため」という思いやりの気持ちがなくてはならない、そのことを再三再四強調してきたのです。

 江戸中期の思想家 石田梅岩(ばいがん)は、『商人の売利は士の禄(ろく)と同じ』と述べ、商人が利を得ることは武士が禄をはむのと同じ正当な行為であり、決して恥ずべきことではないと、陰でさげすまれることのおおかった商人を励ましています。

 「利を求むるに道あり」
 これは、「利潤を追求することは決して罪悪ではない。ただし、その方法は人の道に沿ったものでなくてはならない。どんなことをしても儲かればいいというのではなく、利を得るにも人間として正しい道を踏まなくてはならない」という商いにおける倫理観の大切さを説いた言葉です。

 京セラの経営理念は、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献する」です。これは、一私企業の利益をはかるだけのエゴにとどまることなく、企業には社会の公器として、世のため人のために尽くす責務もある、つまり利己の経営から利他の経営へという、経営理念の広がりを表している言葉でもあります。

 京セラでは、従業員の賛同を得て、自分たちの汗の結晶をその一部でいいから他人のためにも使って、社会のために役立ててもらおうという利他の精神の実践に、創業間もないころから努めてきました。

 また個人では、京セラ発展の結果として思いがけず増えた自分の資産を私物化することなく、社会から預かった資産として社会に役立つ形で還元するのが筋であると考え、1985年に「京都賞」を創設しました。
 したがってこの賞は、社会への恩返しであると同時に、私の利他の哲学の実践でもあるわけです。

 『個人の富は、社会の利益のために使われるべきだ』というアンドリュー・カーネギーが残した言葉に、私は深い共感を覚えました。
 かねてから同じような考えをもっていただけに、天からいただいた富は、世のため人のために使っていくべきだと考え、さまざまな社会事業、慈善事業を手がけてきたのです。

 「利を求むるに道あり」と同時に、「財を散ずるに道あり」だと思います。お金は儲けるよりも使うほうが難しいともいわれます。
 利他の精神で得たお金は、やはり利他の精神で使うべきであり、そうやって財を「正しく」散じることによって、わずかながらでも社会貢献を果たしていきたいと考えています。
(要約)

 名誉会長は、「利己」と「利他」はいつも裏腹の関係にあるとして、次のように述べられています。

 小さな単位における利他も、より大きな単位から見ると利己に転じてしまう。会社のため、家族のための行為には、たしかに利他の心が含まれているが、「自分の会社さえよければいい」「自分の家族さえよければいい」と思ったとたんに、それはエゴへとすり替わり、またそのレベルにとどまってしまう。
 したがって、そうした低いレベルの利他にとどまらないためには、より広い視点から物事を見る目を養い、より大きな単位で自分の行いを相対化して見ることが大切になる。
(要約)

 自分の言動が、どのようなレベルの利他の心に基づいて発現しているのか。そこをシビアに見極め、ブレていたらすぐに修正する。
 そうした日常を送るためにも、「人生=修行」と考え、自らの魂を磨き続けていかなければならないと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?