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『稲盛和夫一日一言』2/19(日)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2/19(日)は、「インスピレーションの源 ①」です。

ポイント:真にクリエイティブなインスピレーションは、神からの啓示を願うほどの切羽つまった状況、謙虚で真摯な態度からしか生まれてこない。それには、まず困難に真正面から取り組む姿勢が必要。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で、困難に立ち向かうときのあるべき姿勢について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 普通、難しい問題にぶつかると皆それを回避しようとします。例えば、多少まわり道になっても、困難に遭遇しないように迂回したり、あるいは真正面から取り組まずに側面から攻めようとしたりします。

 しかし、そうした困難に対しては、敢えて真正面から取り組むという正攻法で臨むべきです。難しいことは承知の上で、「しかし何としてもそれを解決しなければならない」という切迫感を持って真正面からぶつかっていく。それが物事を解決していくにあたっては大事なことなのです。

 真正面からぶつかり、一進一退を繰り返して努力をしながら、苦しみ抜いている最中に、ふとある瞬間、「あっ、そうか!こうすればいいのか」といった気づきが得られ、それが問題解決の糸口となっていく。
 困難に真正面からぶつかり、「これでもか、これでもか」と悩み苦しみ抜いている最中に、解決のヒントが得られる。私はそうしたものが「神が与えてくれるささやき」、あるいは「神の啓示」ではないかと思っています。

 つまり、苦労している人、困り果てている人を助けるために、神や天が援助の手を差し伸べてくれたのではないか。私には何回かそうした経験がありました。
 逃げの手を打たないで、真正面から取り組んで努力をしている、その健気(けなげ)な取り組みがあって初めて、「神の啓示」が与えられ、ひらめきが生まれるのだ、と私は思っています。(要約)

 「インスピレーション」という言葉は、思いつき、ひらめきといった意味で使われていますが、時間をかけて思いつくのではなく、瞬間的に頭に浮かんできたような状況を表します。また、霊感や不思議な感覚のことを呼ぶこともあり、見えない何かが心に吹き込まれるような感覚や反応を表すこともあります。
 つまり、創造や思索の過程で、俗に言う「ピンときた」「降ってきた」という感覚があれば、それが「インスピレーション」だと言えます。

 私にも、仕事にどっぷり浸かっている状況が長く続き、頭の中は四六時中課題のことだらけ、食事中も車を運転しているときでさえ、まるで上の空といった状態になった時期がありました。
 そんなとき、ふとした瞬間に湧いてきた「あれっ、ひょっとしてこうすればうまくいくんじゃないか!」というアイデアを実行してみると、実にすんなりと課題を解決することができました。
 そのときはまだ、京セラフィロソフィに「神の啓示」という言葉があることすら知らなかったのですが、後日「このことだったのか!」と一人で納得したのを覚えています。

 「神の啓示」を受けたり、「天の声」が降りてくるほどの切羽詰まった状況、真摯な態度があって初めて、困難を乗り越える素晴らしいアイデアやヒントが得られるのだと信じて、目の前の課題に真正面から取り組む姿勢を持ち続けていたいものです。


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