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『稲盛和夫一日一言』 7月12日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7月12日(金)は、「自分で考える」です。

ポイント:経営に行き詰まると、安易に人に問う経営者がいる。そういう心構えこそが、経営がうまくいかなくなる理由。

 2016年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第5巻 リーダーのあるべき姿』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)の中で、経営者に必要なものとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 私は経営者、つまり企業のリーダーには、三つの大切なものがあると考えています。

 第一に、経営者は、会社を将来どのようにしていくのかという、夢あふれる「ビジョン」を持ち、それを全社員に示さなければならないということです。
 自分たちの会社が目指すべき目標を、明確なビジョンとして示し、それを何としても達成したいという強い願望として、社員に共有してもらうことが必要です。

 第二に、経営者は、なぜ、そのようなビジョンを達成していかなければならないのかという「ミッション」、つまり「使命」を確立していかなければならないということです。
 ビジョンを達成しなければならない理由として、全社員が心から賛同できるような大義名分のあるミッションを掲げ、社員一人ひとりにも使命感を持ってもらうことが必要です。

 第三に、経営者は、高い「人格」、高邁な「人間性」を身につけていかなければならないということです。
 どれだけ素晴らしいビジョンやミッションがあろうとも、経営者が素晴らしい人格、人間性を身につけていなければ、社員は決して苦労を共にしてくれません。また経営者が素晴らしい人格を備えていなければ、自分の都合や利益を優先し、正しい判断や決断を下すことができず、会社を間違った方向に導きかねないのです。

 「京セラフィロソフィ」の中には、経営にあたる姿勢を問うプリミティブな教えがいくつかありますが、まずは経営者である私自身がそれらを固く守るとともに、全社員で共有するよう努めてきました。

 では、そのようなフィロソフィがなかったら、どうなるのでしょうか。
 経営者に明確なフィロソフィがなければ、会社はただ単に利益の増大を目指し、合理性や効率性のみを追求する経営を続けていくことになるでしょう。
 そうなれば、「何をしても儲かればいい」といった風潮が社内にはびこるようになり、結果として「少しぐらい不正なことをしてでも儲けよう」とする社員、幹部まで現れてくるはずです。

 さらに、そのような不正が少しでも行われ、それが見過ごされるようになれば、会社全体のモラルはたちまち堕落してしまいます。堕落した雰囲気が充満する組織の中では、まともな考え方の人も真面目に働くのが嫌になります。そして社風は急速に悪化し、業績も悪化していくのです。

 私は、人間は皆、生まれながらにして良い性格を持ち、善良であると信じています。しかし、人間とは弱いもので、自分自身の欲望に負け、環境に負け、体面を気にしているうちに、人の道に反することを平気でやってしまうようになる。それもまた事実なのです。

 だからこそ、人間には何かに迷ったとき、判断の基準となるべき哲学が必要となるのです。特に多くの社員を雇用し、重い責任を負っている経営者は、高い倫理観に裏打ちされた経営哲学を確立し、それに基づいて自分自身を戒めると同時に、それを社員と共有するよう努めるべきなのです。

 事業を成功させるためにも、組織を正しく機能させるためにも、リーダー自身が持っている「考え方」が、最も重要です。
 皆さんがそのように努められれば、企業にとどまらず、どのような集団であれ、その集団を成功に導くことができると、私は固く信じています。
(要約)

 1996年発刊の『成功への情熱 ーPASSIONー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、自分で考え、判断することの大切さについて、名誉会長は次のように説かれています。

 それが正しい道だと固く信じているのであれば、その道がどんなに険しかろうと、どんなに悪天候に遭遇しようとも、その道をまっすぐ頂上目指して登っていくべきです。
 なぜなら、たいていの場合、安易な道はゴールへと導いてくれないからです。
(「安易な道を避ける」より抜粋)

 常に「原理原則」に基づいて判断し、行動しなければなりません。
 「原理原則」に基づくということは、人間社会の道徳、倫理といわれるものを基準として、人間として正しいことを正しいままに貫いていこうとすることです。

 人間しての道理に基づいた判断であれば、時間や空間を超えて、どのような状況においてもそれは受け入れられます。そのため、正しい判断基準を持っている人は、未知の世界に飛び込んでも決してうろたえたりはしないのです。(「原理原則に基づく」より抜粋)

 人に頼ること自体は、決して恥ずかしいことではありませんが、それも度が過ぎてしまえば、主体性を疑われかねません。

 自らの信じる道を、迷うことなくまっしぐらに突き進んでいる人を見るとうらやましい限りですが、日々惑いながらも、人間として正しいことを正しいままに貫こうとする心構えを崩さず、安易に流れてしまいそうな弱い心に歯止めをかけていく。
 そうできるよう努めることが、自分にとっては最もまっとうな生き方ではなかろうかと思っています。


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