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『稲盛和夫一日一言』1/25(水)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 1/25(水)は、「美しき人間の本性」です。

ポイント:本来、人間の本性とは美しいものであり、「反省」をすることで、その美しい心を開花させることができる。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、本来人間が持っている美しい心について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人を成長に導くものは、愛と誠と調和という言葉で表される心です。
 こうした心は、私たち人間が元々魂のレベルで持っているもので、「愛」とは他人の喜びを自分の喜びとする心、「誠」とは世のため人のためになることを思う心、そして「調和」とは自分だけではなく周りの人々みんなが常に幸せに生きることを願う心です。

 この愛と誠と調和を尊ぶ心から出てくる思いが、その人を成功に導いていく基盤となります。

 自分自身というのは、肉体だけを表すのではなく、そこには心というものもあるはずです。私たちはその心でいろんなことを考え、いろんな思いをめぐらせるわけですが、では、その思いが出てくる源は何だろうと問い詰めていくと、「魂」という霊性的なものの存在に思い当たります。


 仏教では、「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)、つまり山も川も草も木も、すべてことごとく「仏」であると教えています。またインドのヨガでは、最終的な本当の自分、「真我」というものに辿り着こうと、瞑想などを通じて、自分というものの根源に到るために精神統一をしますが、それは「自分とは何ぞや」とたずねていく、人間の本質、「魂」を追究しようとする行為でもあります。

 しかし、私たちは肉体を維持するために、食物を通して栄養を取り続けなければなりません。その食物がなければ、人から奪ってでも自分の肉体を守ろうとする欲望さえ持っています。元々人間の本質とは、愛と誠と調和に満ちた美しいものであるはずなのに、魂が肉体をまとっているために、最初は肉体が発する欲望が出てきてしまう。

 私たちは、勇気をもってそうした欲望が出てくるのを少しでも抑え、自分の本質である愛と誠と調和に満ち満ちた状態を保っていかなければなりません。(要約)

 人間の本質が語られる際、よく「性善説」と「性悪説」という議論が持ち出されます。
 「性善説」は孟子が唱えたもので、「人間にはもともと善の端緒が備わっていて、それを発展することで徳性にまで達することができる」とする説です。
 人間は生まれた瞬間にすでに善なるものを備えており、それを育てていくことで、立派な人になれるという考えですから、世の中に悪い大人がいるのは、善なるものとして生まれた子供が育っていく中で、何かしらの影響を受けて悪くなったと解釈されます。

 一方、「性悪説」は荀子が唱えたもので、「人間の本性は悪であり、たゆまぬ努力や修養によって、善の状態に達することができる」とする説です。
 人間とは、そもそも悪いものであるとする考えですから、それを善に導くには親や周囲の大人たちが厳しくしつけ教育する必要があり、世の中に悪い大人がいるのは、悪い部分を教育やしつけで矯正することに失敗した結果だと解釈されます。

 今日の一言では、「人間の本性とは元々美しいもので、愛と誠と調和に満ち、また真・善・美、あるいは良心という言葉で表すことができるような崇高なものであり、人間は反省をすることで、そうした本来持っている美しい心を開花させることができる」とあります。

 人間の本質を解明することなどできるはずもありませんが、誰でも、美しいものを見て「美しい!」と感じることはあるはずです。そうした心の底から、あるいは自分の魂から出てくるピュアな思いを大切にしながら、少しずつでも成長していければと思っています。


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