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『稲盛和夫一日一言』11/25(金)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11/25(金)は、「真我(しんが)」です。

ポイント:人間の心の中心部をなす、きわめて美しいものが「真我」で、そこには、あらかじめ真・善・美そのものが備えられている。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)の「心の構造」の項で、心の中心、最深部にあるとされる「真我」について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人の心は、さまざまな要素が幾層にも重なった多重構造になっていると考えることができます。
 中心に、真・善・美あるいは愛と誠と調和に満ちた「真我」があり、その外側に食欲や闘争心といった、私たちの命を維持するために必要な「本能」や、喜びや怒りなどの「感情」があります。さらにその外側に、見る、聞くといった「感性」があり、最外周に「知性」が存在します。

 本来人間は、心の中に美しい思いやりにあふれた心を持っているのですが、同時に肉体に付属する本能や感情といったわがままな心も持っている。そのため、自分勝手な行動をとろうとする自分を律するには、真我から湧き出る良心や理性で、自我を抑制していかなければなりません。
 日々反省を繰り返すことで自我を抑制し、優しく思いやりに満ちた心を持とうと努めることが、人生の目的である「心を磨き、高める」ことにつながっていくのです。
(要約)

 心の構造モデルについては、脳科学や心理学、宗教などさまざまな分野で多くの提案がなされていますが、稲盛名誉会長は「良心」「理性」といった高次元の「真我」と、「本能」「感情」といった低次元の「自我」を合わせたものが「魂」であると説明されています。
 卑近な例では、何か悪さをして心が痛いときなどに「良心の呵責(かしゃく)に耐えかねてー」といった表現をすることがありますが、そんなときに発露している心が「真我」だと考えられます。
 また、禅宗のお坊さんが座禅を組むのも、心の中に次々と沸き上がってくる雑念・妄念を消し去ることで、自分の心の一番奥底にある真我に近づこうとする行動であり、そこに到達することで心の迷いが解けて真理を会得する、つまり悟りを開くことができるとされています。

 今日の一言には、「人間は真・善・美にあこがれずにはいられない存在ですが、それは、心の真ん中にその真・善・美そのものを備えた、素晴らしい真我があるからにほかなりません。だからこそ、私たちはそれを求めてやまないのです。」と記されています。

 自分の心の中がどうなっているのか確かめることはできませんが、心の中心に「真我」という利他の心と「自我」という利己の心が同居していて、人格を高めていくことで次第に「真我」の占める部分が大きくなり、それに伴って運命もよい方向に変わっていく。

 「ひとついいことをしたら一歩幸せに近づける」「ひとつ悪いことをしたら二歩幸せから遠ざかる」と考えて、毎日一歩でも幸せに近づくことができるよう、善きことを積んでいきたいものです。


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