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『稲盛和夫一日一言』 10月28日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 10月28日(土)は、「国境を超えた普遍性」です。

ポイント:グローバル化が進んで外国人と渡り合うときも、判断の基準となるのは「人間として何が正しいか」ということ。そこには国境を超えた普遍性がある。

 2015年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第3巻 成長発展の経営戦略』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)の中で、グローバル時代の企業統治のあり方について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 グローバル時代を迎え、日本企業も海外に多くの子会社や関連会社、合弁会社を持つようになっています。

 多くの場合、親会社から日本人のトップや幹部社員を送り込んで、経営のすべてを親会社がコントロールするという管理方法がとられますが、それでは意思決定が遅くなって迅速性に欠けるだけでなく、現地経営陣に自主性が与えられないため、経営効率が悪いのが通例です。
 一方、常に本社から監視の目が光っているため、海外のトップが暴走して、巨額の損失を被るといったリスクは少なくなります。

 また、経営幹部を一部派遣しているものの、経営にはあまり干渉せず、現地経営陣を全面的に信頼して経営を委託するという方法があります。その場合は、国内の子会社と同様に大成功する可能性はあるものの、現地経営陣の暴走により破綻を来すという危険性も内包しています。

 日本企業が海外で企業を買収した場合、その買収企業のトップから従業員に至るまで、ほとんどが現地人ということが多いかと思います。では、そうした環境下ではどのように統治がなされるべきなのでしょうか。

 そこでは、まず文化的な違いがあることをよく理解した上で、システマチックで精緻な管理手法をとっていかなければなりません。しかし、最も大切なことは、つまるところ「人の統治」であり、制度やシステム以上に「人心の掌握」が不可欠なのです。

 「人を治める」にはさまざまな方法がありますが、最も大事なことは、リーダーを相手が信頼してくれているか、また尊敬してくれているかであると思うのです。権力や権限で部下を従えようとすれば、形の上では従ってくれるでしょうが、面従腹背(めんじゅうふくはい)ということでは、いざというときに誰もリーダーを助けてはくれません。

 世界的な企業の中でも、真のグローバル企業と呼ばれるような会社には、全世界の従業員が共有できる普遍的な経営理念が存在しています。言い換えれば、万人が共鳴できる経営理念を高らかに掲げている企業がグローバルな舞台で成功しているということです。

 つまり、「人間として何が正しいのか」を原点に置き、どのような状況に置かれようとも、プリミティブではあるものの普遍的な価値観を貫いていこうとする企業理念を基に、具体的な行動指針をもって経営を進めていくことが大切なのです。
 そうしたことができれば、日本企業の真のグローバル化は一気に加速され、世界規模での発展を遂げていくこともできるでしょう。
(要約)

 今日の一言では、「常に自分の胸に手を当て、『人間として正しいかどうか』と問うてから判断を下すこと。そうすれば、多少の文化的な衝突はあっても、根っこのところでは必ず理解し合えるはず」と説かれています。

 1998年発刊の『稲盛和夫の実学 ー経営と会計ー』(稲盛和夫著 日本経済新聞社)には、「人間として正しいことを追求していく」という名誉会長の経営哲学をベースに確立された「会計の原則」がまとめられています。

 「本質追究の原則」(原理原則に則って物事の本質を追究し、人間として何が正しいかで判断する)、「ガラス張り経営の原則」(公明正大に利益を追求し、透明な経営を行う)等々がそれにあたります。

 経営の原点であるそうした経営理念をベースとした企業統治が行われて初めて、コーポレートガバナンスの制度やシステムが生かされるのではないでしょうか。


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