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自由になるには

幸せを考える時に、「自由」という言葉を使う人が多いように感じるが、自由であることがなぜ幸せに感じるかについて言及する人は少ないように思う。

旅行に行く自由
仕事を選べる自由
経済的不安からの自由
行動の選択肢を制限されない自由

粒度を変え表現を変え、様々な自由の形がある。

一方で、自由度に際限が無ければ、人は選択肢に溺れて動けなくなってしまう気もする。ビュリダンのロバみたいに、結局何にもありつけなくて飢え死にするかもしれないし、五条悟の領域展開にかけられたみたいに何もできなくなってしまうかもしれない。

じゃあ何が自由なのかなって考えた時に、数ある選択肢の中で、自分の価値観に沿った選択肢を見失わないことが、その人が自由な姿なんじゃないかと思った。

※自分なりに価値観の位置付けを最近まとめたnoteはこちら

やれることはたくさんあるけど、自分にとってやらなくていいこととやるべきことのどちらも理解している。その上で、自身の価値観に沿った好きな選択肢、つまり自分がやりたいことを選べる。それが自由な姿じゃないかと僕は思った。

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なんだか、こんな堅苦しいような、わざわざ難しく聞こえるような、格好つけているような文章や事柄をまとめていると、将来恥ずかしくなりそうだと思ったりする。

だけど、中二病という言葉があるように、ちょっと背伸びをして成長する時期もあると思ったんだ。

そんな風に、気後れする自分を支えてあげるような、気の利いた言葉を自分にかけてあげられる自分のことを、少しいいやつだと思ったりする。

最近のドロドロした暑さが、頭をおかしくしている。

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