はじめての湘南と秋田ナンバーのワゴン
東北で生まれ育ち22年、東京に出てきて5年。
自分を台風に見たてて日本地図のうえにおいてみたとき、東京にいるときに、ギリギリ丸い円の中に含まれるかどうかの境目が、神奈川県の湘南エリアだと感じていました。
東北の地で桑田佳祐の歌声を聴いて育った僕にとって、湘南の地名は、耳に馴染んでいながらも、どこか田舎から都会を想うような遠さを持った固有名詞でした。
東京に来てからも、都心に比べてアクセスがとてもよい訳でもないその地に足を運ぶことは、これまでありませんでした。
その、憧れつつ触れずにきた、自分の生活空間の鼻先くらいに位置する湘南に、先日はじめて訪れましたので、報告します。
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小田急線で、藤沢まで向かい、そこから江ノ島まで乗り継ぎ、着。
サングラスとティシャツとショートパンツ。
サンダルとワンピースと大ぶりの帽子。
晴れた休日に、たくさんの人が飲みもの片手に陽気な会話で行き交うの浜辺の道は、海辺の街の雰囲気をぎゅっと詰めこんだような感じがして、とても素敵でいくら眺めても飽きないくらいでした。
そんな景色の一部に自分が収まっている嬉しさを脇に、江ノ島の岩屋にいって鳥どもと岩を打つ波の音に感心したり、変な色した岩の周りに息づくよくわからない生き物をみて気持ち悪がったりして楽しみました。
稲村ヶ崎に場所を移して海岸線を散歩。
海に沿って作られた、堤防を兼務している道路。
そのうえを走る車たちと、その横で堤防下の海岸に繰り返し訪れる波たちは、これまたずっと見てられるものだなと、不思議に思ったりします。
休日だからか、途切れることのないクルマの列。
一定とも言えないも終わることもない波のリズム。
さっき通り過ぎた秋田県ナンバーのワゴンは、二度とこの地に戻ってこないのかもしれない。
波は、言わずもがな。
戻ってくることがない、一度限りの形と時間が、目の前に発生している。
波の形はいつも違う。強さも泡の感じも。
その不安定さが不思議で綺麗で、でも継続してそこにずっと水を運んでくれている事実があって、おかしな安心感があるなあと思いました。
きっと、不安定だから誰もそれを手に入れることはできないし、それを前提とした、どこか諦めるみたいな潔さがそこには存在していてるんだろう。
そう思ったら、なんだかすごく心地よく感じました。
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どこかで生活することも、生活する中でそのどこか以外の地に思いを馳せることも、生活の拠点を移したことがあるひとには必ずある気がします。
僕は、その思いがもどかしく感じてしまうときがあるのですが、この思いが心にあってしまうことに、諦めるような潔さを持てたらいいなと思ったりしました。
秋田県ナンバーのワゴンは、きっともう来ることはないだろうし、彼らもそれを受け入れて生きてゆくんだろうな。