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焦って恥じて僕は笑う

みんなで大学芋を作っていた。
サツマイモを切って水にさらし
レンチンして油で揚げる。
揚げた芋を醤油、みりん、砂糖で
絡めるように炒める。
これで完成。

この中で焦って恥じて笑う
そんな俺が出てきた。

サツマイモを切っていたら箸と包丁を交換したとき。
この時まず自分の中で俺遅かったかなって
頭の片隅で思った。少しの焦り。
俺がサツマイモを揚げたあと
油が少ないからもう一回やろうってなった。
あー、こんなことも知らないのかと。焦り
極め付けはチンした芋を油の中に入れる時
水が入ってすごい音ともに油が散って
あーあと言われた。
俺の中は焦りで埋め尽くされていた。
大丈夫だよという言葉でさえも
そんな焦ってる自分を見すかされてるみたいで
恥ずかしくなった。
そして俺は作業をしながら生まれる会話で
ただ笑っていた。
そんなに笑うことかどうかもわからない中で。

焦りが少しずつ積み重なり
そんな焦りを重ねる自分に恥じて
それら全てを隠すために思いっきり笑う。

焦るとき
力になりたいとか
効率的にやりたいとか
そんな自分がでる。

そんな焦ってる自分に対して
周りからそんなこともできないのかとか
びびり野郎だなとか
おどおどしててダサいなとか
そんなことを自分の中で考えて
恥ずかしくなる。
こんな自分では人から信頼されないし
認めてももらえないって。

そうするととりあえず笑う。
笑って恥ずかしさも焦りも
全て隠す。
そうすれば場の雰囲気は壊れないし
とりあえず保たれる。

本当はあーあ、っていじけたいし塞ぎ込みたい
でもそんな自分になることをして
迷惑をかけたくないから
本当に面白いと思わないことでも
笑うタイミングを見つけては笑う。
笑ってる顔が素敵と言われてきてたし
大丈夫なんだって思ってもらいたかった。
そうやって焦ったり恥じてる自分を隠したかった。
それが正しいって思ってきたし
その方が周りは困らなかったし
場の雰囲気を壊さずに済んだ。
それにいじけたら泣き虫って馬鹿にされたり
怒られたりした。
だから俺は笑ってきた。

野球をやっている時もエラーしたあと
めちゃくちゃ悲しくなったし泣いたりもした。
ミスしたあと泣いてる自分も
そんなことで泣くなと言われた。
中学でも
ミスをしたあと自分は
泣きはしなかったけど
悔しかったし情けなくてよくいじけてきた。
けどそれがいつからか
それでは人がさらに怒ったり
さらに困ったりするようになってることに
気がついた。
俺はそこから声を出すようにした。
いつも以上に。

高校ではキャプテンとして
そんな自分を見せたくないから
もっと声を出すようになった。
大学でも同じだった。

声を出せば人から繋がりを切られることはない。
必要とされ続ける。

だから胸が苦しくてもどんなに辛くても
とにかく前を見て声を出すようになった。

プレーに集中するというよりも
いじけたりしてしまう自分を隠すため
無理やり頑張っていた。
それでたまにドカンと結果を出すこともあれば
さらにひどくなっていくこともあった。
たいていは後者だった。

俺はよく笑う。
本気で笑う。
全力で笑う。
それは本当に面白い時もある。
でもそれは自分を隠したい時もある。

そんな習慣があることに気づいた。

今思うのは焦ってる自分も素敵じゃないかって。
頑張ろうとしてるじゃないかって。
素直にそう思う。

恥ずかしいと思ってる自分だって
相手が何を考えてるか
事実かどうかわからないことを
予想しているけど
ただ人とのつながりを大事にしたいだけだ。
自分が何かを大事にしたいだけだ。

笑ってきた自分も
苦しむことから守ろうとしてきてくれた。
場の雰囲気を、周りとのつながりを
守ろうとしてきた。

ただ伝えたいのはありがとう。
必死に生きてきてる、大丈夫だよって。
そうやって伝えたい。
焦ってる自分も素敵だよ。
恥ずかしい自分も大丈夫。
笑ってきた自分もありがとう。

焦ってる心の奥にある純粋な想いを
恥ずかしいの中にある純粋な願いを
笑ってる裏に隠れてる守りたいものを
ちゃんと大事にしたい。
自分に対しても人に対しても。

今日も読んでくれてありがとう。

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