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京都エッセイ②京都に移住してきての数日

 京都に住むようになったきっかけはいくつもある。第一回のときに書いた感覚を忘れられなかったのももちろんあるが、次に大学進学のため。

 京都芸術大学(当時は京都造形芸術大学)の文芸表現学科に合格した私は晴れて京都に住むことになった。

 ちなみにここの大学を選んだのは、5教科の内国語だけ異常に点数が高かったことと、何者かになりたいという若者にありがちな感情から。

 文学が特別好きだったわけではない。本は月に一二冊しか読まなかったし、ジャンルも太宰治か、あとは本屋でジャケ買いしたやつだけ。主にエンタメが多かったように思う。当時は本よりもゲームの方が楽しかったし、本は誰とも何にも用事のない休日の退屈しのぎでしかなかった。書いたことも一度もなかった。

 要するに何者でもない人間が何者かになろうとして得意分野(ただし好きではない)で勝負に出たわけだ。

 私はこの選択を一生賛美することになるだろう。

 それほどまでに今は文学、物語、文章、言葉というものがなくてはならないものになっている。就職してそれらを吸収する時間が減って、マジで通院したくらいである。逆にゲームは一年に一本もしなくなった。当時の本より触れてない。

 余談が長くなった。ともかく2017年3月に晴れて京都生活をスタートさせた。

 初めての一人暮らし。初めての都会。期待に胸が踊った。地元では車で1時間かかったコンビニが歩いて30秒。2時間かかったTSUTAYAが同じく30秒。それだけで毎日が輝いていた。映画をたくさん借りて観て、毎日コンビニ弁当を食べた。
 読者にとってはコンビニ弁当なんて小さい頃から慣れ親しんだものだとは思うが、僕にとっては月に一回のご褒美だったのだ。実家に住む祖母が作ってくれた、色味が食欲をそそらない薄味の料理ばかり食べていた18年間の舌にはコンビニ弁当は本当に美味しかった。中高と体育会系の部活に所属していたのもあって、一回の食事でコンビニ弁当三つも食べていた。

 大学が始まるまでの数日をそうやって過ごした僕は、すぐに金欠になった。初めて親からお金を借りた。事情を説明したら馬鹿かと言う父に確かにとしか思えなかった。

 TSUTAYAとコンビニが近いで家バレしそうなので書いておくと私は松ヶ崎駅徒歩2分圏内に住んでいた。大学からは自転車で20分の距離にある。

 なぜこんな遠いところを選ぶのかと家を選ぶ際に不動産にも言われた。理由は実家から高校までがバイクで20分くらいだったからだ。京都ではバイクではなく自転車が主になったが、生活のサイクルを崩したくなかった。

 生活の乱れ→退学→実家に強制送還

 せっかく始めた一人暮らし。それを自ら破壊する愚行だけはしたくなかった。

 この決断は良かったとも言えるし悪かったとも言える。良かったのは先述した通り生活のサイクルが安定したこと、そのおかげで充実したキャンパスライフを送ることができた。悪かったのは他の学生が遊びに来にくいというところ。せっかく友達ができても家に招くにはハードルがあった。歩くと遠い、そもそも大阪から通っているから夜遅くなってしまう、極めつけには周りにはなにもない。そう、松ヶ崎駅はコンビニとTSUTAYAこそあるものの、それ以外には早くに閉まってしまう小さなカフェくらいで遊びに行く場所も飲みに行く場所も少なかったのだ。

 松ヶ崎駅は近いが、三条や四条に出るには、烏丸御池で降りて10数分歩くか、東西線に乗り換えて京都市役所駅前から歩かなくてはならなかった。それでも僕からすれば往復1000円未満で映画やカラオケ、ショッピングに行けるのだから、胸は踊りに踊るが、都会から進学した人からすれば慣れたものらしく、特に盛り上がらなかった。

 極め付けが大阪から来る友人たちは皆京阪の定期を持っていたこと。松ヶ崎駅は烏丸線。つまり彼らからすれば余分なお金を払ってまで来るほどの魅力が我が家にはなかったのだ。

 結果大学で用もないのに閉まるまで遊ぶことが多くなった。

 ちなみに大学三年生のときに、家によく招くようになる後輩ができる。彼も大学から距離があるところに住んでいてつまるところ我が家と近かった。彼自身は僕の中高時代とは真逆でゲームをあまりせず本ばかり読んでいた子で、その子はSEKIROというゲームにハマり最終的には大学を中退する羽目になる。後輩が家に来るようになったのはいいことだが、退学はいいことではない。

 やはり松ヶ崎駅に住んだのは良いとも悪いとも言えるようだ。

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