ROUTEMAPになるまで、その道のりの話①
こんにちは。
今回は、ROUTEMAPのルーツを辿るお話。
いつコーヒーと出会い、どうやって学んで、今に至るのかを書いていこうと思います。
こういう話をする機会って、実際に誰かと会う時もなかなか無いなぁと思います。どちらかというと、自分が話すより相手の人生のルーツを聞いていたい派なのかなと💡
その人がどういう道のりで、今に至るのか。物事に懸命な人には、必ずそれ相応の物語や背景があるもので、感情も伴うものならば、冗談抜きでその人の小説が書けそうなくらい、聞いていてワクワクするものです。将来コーヒー屋を開いて生涯カウンターに立ち続けたいなと思う理由が、実はそれでして…🍀
僕がコーヒーと出会う前、まだ大学生の時。地元のピッツェリアでアルバイトとして働いていました。そこで働くまではなんとなく、「いつか自分のお店を持ちたい。どんな形態であるにしろ、たくさんの人にとって居心地の良い拠り所を作りたい」という気持ちを持っていまして、父親がラーメン屋を経営している影響で、アルバイトはラーメン屋から中華料理屋、スナックバーなど、ジャンルはさまざま…
そして、カウンター席があって、お客さんともお話が出来るという理由から、そのピッツェリアへ履歴書を持っていき、働かせてもらえることに。
学生ながら、シェフはイタリアンの仕事を本気で僕に教えてくださり(正直、この時の僕は学生という身分に甘え、本当に迷惑ばかりかけてた…)、わからないなりに少しずつ技術を身につけようと、日々奮闘しておりました。
とにかく、イタリア料理や文化のことを調べねば!と、本やら料理漫画やら買って読んでいた時に知ったのが「エスプレッソ」そして「バール文化」。
確かこれらの書籍をシェフが持っていて、それを調べて買いに行って読んでいたような…(うろ覚え)
調べていくうちに、イタリアの習慣となっている「バール文化」について興味を持つようになりました。
イタリア人は毎日、仕事に行く前、休憩時間、仕事帰り、飲んだ後…など、1日に何回もお気に入りのバールへ通い、決まったスタイルで、決まったメニューを注文しバリスタや馴染みの常連客と会話をしながらカッフェを楽しむ。
こだわりのある人は、お気に入りのバリスタが淹れるカッフェじゃないとダメなんだそう。「ああ、やっぱりこの味なのさ。あいつが淹れたカッフェじゃないと、どうも仕事のやる気が起きなくて参っちゃうよ。」なんていう言い訳も成立してしまうくらい。
こだわりがあるのはともかく、まさにこれこそ、僕が憧れていた「店のかたち」でした。自分の店に来てくれるお客さんが、「そうそうこの味。これを飲んだら、いつもホッとした気持ちになるんだよね…」などと呟いてくれたらなんてやりがいのある、希望に溢れた仕事だろう!
それから、さらにバール文化に強く憧れ、そして「自分のお店を持つならば、コーヒーショップを開こう。世界中の人が、成田に来た時にホッとしてもらえるようなお店を作りたい。」と、少しずつ明確に、自分の夢を描けるようになりました。
しかしその時、その夢を追うにはひとつ難題をクリアしなければなりませんでした。
…
ブラックコーヒーが一切飲めなかったんです。その時。(当時22歳)
好きにならなくともとにかく慣れるため、缶のブラックコーヒーや、コンビニのコーヒーなどを買って必死に飲むようにしましたが、なんともエグくて苦いこと。どうしても、ミルクと砂糖で苦味を和らげた味しか受け付けられないくらいコーヒーの苦味が嫌いでした。エスプレッソに初めて出会った時も、飲み方を教わりスプーン3杯分の砂糖を入れて一気に飲めたとしても、コーヒーの強烈な苦味には勝てずにいました。なんでこんなん飲める人がおるんや…
しかし、その苦行をも極楽へ変える、さらなる出会いが…!
…書いてたら長くなった。笑
どうせならストーリー調に、僕のルーツを楽しんでいただけますよう😌
後半へ〜続く!
RMC ROASTERS…Written by Keisuke
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