ストア派哲学とは古代ギリシャにおいて創始された哲学である。
ストイック(stoic)という言葉はこのストア派に由来するが、その意味の通り禁欲的な思想を信条とする哲学である。キティオンのゼノン(前335年~前263年)がアテネの広場にあったストア・ポイキレ(日本語では彩色柱廊)の付近で彼自身の思想を人々に説いていた事からストアという名前が付けられたとされている。
ストア派は古代ギリシャのみならずその後の地中海世界、特に古代ローマ社会の知識階級の人々を中心にその考えは広まっていった。ストア派哲学者として一般的に知られているセネカ、エピクテトスはローマ帝国時代の人である。
また五賢帝の1人としてローマ帝国の全盛期を築き上げた皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスもこの思想に大きく共感し、彼自身の政治、生活、人生の拠り所としていた。
その彼が残した著作こそが『自省録』である。
自省録は他人に見せるために著したのではなく、自分の為に自らが日々の生活で学んだこと、考えたこと等をそのまま書き綴っている。そのため本の内容には若干の矛盾が存在し、不完全な部分も多々ある。
しかしそれを踏まえても自省録は数千年の時を経てもなお我々に多くの教訓と自戒・人生の道標を教えてくれる、素晴らしい本である。
ぜひ読んでみて欲しい。
今回はその中でも特にためになりそうな一部の文章を恣意的な選択のもと紹介したいと思う。日本語訳はいくつか存在するが、一般に出回っている訳本である[1]を参考とした。
・時間の大切さ
人生というのは、思うがままに行動が出来るほど長くはないのである。立ち止まったりする事も必要だが、無駄に時間を浪費してはいけない。後悔する頃には既に時遅しなのである。寿命が伸びた現代であってもこのことを常に肝に銘じておく必要があるだろう。時は金なりと古今東西で言われているのだから。
・理性の重要さ
ストア派哲学の特徴として理性や論理を重視し、それらに従う事で波乱の世に身を流されることなく、善く生きることが出来ると考えていた点がある。
『自省録』においても指導理性(ト・ヘーゲモニコン)という語が度々登場する。指導理性は個人の思考や判断の基準のようなものであり、個人それぞれが持つ理性と言ってもよいだろう。
時に我々は道を見失う。これからどうしたらよいのか、どうすべきか分からなくなってしまう。誰も助けてくれないかもしれない。しかしもし指導理性を十分に重んじて日々鍛錬に勤しんでいればきっと役に立つだろう、そんなことが伝わってくる。
・世の中に疲れたら
マルクス・アウレリウスはローマ皇帝として国民のために尽力したが、実際のところ彼は皇帝にはあまりなりたくなかったようである。宮廷では汚い話や悪事が蔓延っていて、戦争も度々起きていた。その中で自分の仕事をこなしていくというのは中々辛いものがあっただろう。
哲人皇帝は皇帝としての名声よりもただ哲学的な思索に感けていたかったのかもしれない。その思いは自省録からも読み取れる。
我々も日常生活で疲労を感じる時がある。インターネットを眺めていると度々悪意のある人間を意図せずとも視界に入れてしまう。たまにはSNSから離れて気分転換をしてみてもいいだろう。その方が却って仕事も学業も捗るかもしれない。
参考
[1] 神谷美恵子訳(1956) . 『自省録』. 岩波文庫