第3話『息子にラブレターを』 【23】/これからの採用が学べる小説『HR』
この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。
*目次*はコチラ
第3話【23】
手紙を書いてほしいんです、室長がそう告げると、中澤婦人は驚いた顔をした。
当然の反応だろう。俺だって同じ気持ちだ。思わずチラリと横の室長を伺うが、予想通り、その顔に迷いの色はない。
俺たちは再び中澤工業に来ていた。古びた事務所の応接セット。年代物の革張りソファに俺と室長は座り、昨日と同じ制服姿の婦人と向き合って座っている。
続きの説明を待っていたのか、婦人は何も言わずに黙っていた。それでも室長が何も言わないので、微かに首を傾げ、笑みを浮かべて言った。
「手紙って……誰に?」
「高本さんにです」
「タカちゃんに?」
再度の驚きでボリュームが大きくなった婦人の声に、俺は視線を落とした。なんとなく恥ずかしい気持ちだった。同じAAの社員としてここに座ってはいるが、俺だって別に室長の提案に賛成してるわけじゃない。
マイナスポイントだらけの中澤工業、その採用課題の解決法として室長が出したアイデアは、「高本に対するラブレター」という奇妙なものだった。
求人広告はラブレターだって、習わなかったかい? 昨日、HR特別室で室長はそう言った。何となくドキリとする物言いではあった。
だが、あらためて考えてみれば、よくわからないのだ。”求人広告が企業からのラブレターである”という話自体は理解できなくはない。入社間もない頃に受けた研修の中で、そういう比喩を使った座学を受けたような気もする。だが、それはあくまで”求職者に対するラブレター”であって、既に勤務している社員に対するものじゃない。それもその社員はいま、辞める辞めないで会社と揉めているのだ。
気まずい沈黙が降りた。
チラリと上目遣いに婦人の顔を盗み見ると、さすがの婦人も理解できないのだろう、ポカンとした表情で室長を見つめ返している。
「ええ、タカちゃんに。ラブレターをね」
一方の室長は嬉しそうだ。その物言いにはやはり躊躇のかけらもない。
「ラブレター」
「そう、ラブレター」
オウム返しする室長に、はじめて婦人の顔に不安げな表情が浮かぶ。
「それは……あの……求人についてのご提案、なのかしら」
婦人は言った。
俺は思わず大きく頷きそうになってしまった。
当然の疑問だ。この上なく当然の疑問だ。求人業者にいきなりラブレターを書けと言われたら、クライアントによっては怒り出すかもしれない。それも宛先は、他でもない「辞めさせようとしている社員」なのだ。
「求人についての提案? ……うーん、さあ、どうでしょう」
驚いて思わず俺は室長を見た。さあどうでしょうって……いったいこのオッサンは何を言っているのか。
「ごめんなさい、私にはちょっと仰ってる意味が――」
婦人が言いかけたのを遮るように、室長は言った。
「ただ、私から見て、求人広告よりもそちらの方が大事な気がしたのでね」
婦人は口をつぐみ、黙って室長を見つめた。
その顔にはなぜか、挑むような色が浮かんでいる。そんな表情の婦人を見るのは初めてだった。
怒っている。そう感じた。
「どういうことかしら」
「多分、社長やあなたはこう思ってるんでしょう。自分たちがタカちゃんを檻に閉じ込めてしまっている。そんなことはしてはいけない。だから開放してあげなければと」
「……ええ、そうね」
「タカちゃんのお母さんが倒れて、それなのにタカちゃんは帰ろうとしない。自分のお母さんより、あなたたちを、あるいは中澤工業を優先してしまう。そこに罪悪感を覚えてる」
「……ええ、その通りよ。こんな大変なときに、どうして彼を会社に縛りつけておけるの」
俺は彼らのことをほとんど知らない。社長の入院している病院で、そしてここで行った取材で、ほんの数時間見ていただけだ。だがそれでも、中澤社長と高本との結びつきの強さは感じることができた。俺たちに対する高本の乱暴な態度も、いま思えば中澤夫妻や会社を守るためのものだったのだとわかる。
だからこそ、婦人の気持ちも理解できる気がした。高本が自分たちや会社を大切に思えば思うほど、それを受ける側の人間は辛いのかも知れない。高本に対して申し訳なくて、たまらなくなるのかもしれない。
「そうじゃない」
室長の言葉に、思考が途切れた。
「そうじゃないんじゃないですか。ご婦人」
「……」
「タカちゃんのお母さんの件は重要なトピックスでしょう。でも多分、あなた方の罪悪感はもっとずっと前から始まってたんだ」
婦人はもはや不信感を隠そうとしていなかった。突然よくわからないことをいい出した室長を、警戒した顔で睨んでいる。
「ずっと前からって……宇田川さん、あなたいったい何を言い出すの」
「9年前です。そうです。息子さんが亡くなった時から、あなたがた夫婦は罪悪感に苦しんできた」
「ちょっと室長、それは――」
俺は思わず言った。婦人の方から話してくれるならまだしも、息子さんの死についてこちらから触れるのはさすがにマズイだろうと思ったからだった。
だが俺は言葉をつぐんだ。
いつの間にか室長の顔から、いつものゆるい笑顔が消えていた。
まっすぐ婦人を見つめる、真剣な顔。
「あなたは昨日、こう言った。悲しむ間もなく、あの子は現れたって。どれだけ出て行けと言っても出ていかなかったんだって」
「……ええ、言ったわ」
「それから9年間、タカちゃんはここにいた。息子さんの代わりになろうと思ったんでしょう。思い込みとは言え、タカちゃんは自分のせいで息子さんが亡くなったと思ってる。その罪滅ぼしとして、あなたがたのそばに居続けたんだ」
「……そうよ……だからこそ、私たちはもう、あの子を開放してあげないといけない」
「そりゃ違う」
室長は言った。婦人の小さな目が一瞬大きく見開かれる。
「……違う? 違うって……どうしてそんなこと……」
そして婦人はたまらないといった雰囲気で俯いた。手に持っているハンカチを握りしめ、苦しげに表情を歪ませる。
マズイ、と思った。さすがに言い過ぎだ。いったい室長は何を考えているのか。
第3話【24】 につづく
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