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第3話『息子にラブレターを』 【2】/これからの採用が学べる小説『HR』

この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。
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第3話【2】

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裏ワザ達成。

様々なテクニックを駆使して、達成「したように見せる」ことをそう言う。

いや、実際に受注しているわけだから達成には違いないのだが、普通なら2度3度に分けて計上する受注を1回にまとめたり、ルールの隙をついて既存顧客を新規顧客扱いにして高いマージンを得たり、キャンペーン情報をわざと伏せて割高な料金で受注したり、といった「グレー」なテクニックによって、辻褄を合わせているのだ。

「お願い営業」と言って、仲のいい顧客に「今週どうしても数字が足りなくて……」と泣きついて、それほど必要のない受注をもらうことすらある。

一言で「達成」と言っても、中身はいろいろだ。二部三部ではこの裏ワザ達成が、毎週のように繰り返されているとも聞く。

だが、営業一部に関しては、そういう「裏ワザ」をせずとも達成できるのが当然とされていた。だが、島田は続けて驚くべきことを言った。

「それに今日、いくつか大型案件が落ちてさ」

「え……どこだよ」

思わず聞くと、電話の向こうで島田が口元を押さえたのがわかった。今、島田のいるオフィスでは禁句なのだろう。

社名を聞いて、思わず息を呑んだ。先日俺が落としたM社レベル、いや、場合によってはもっと大きな受注をしていた大口顧客だったからだ。

「それ……今週だけか? それともAA自体が切られたのか」

「詳しいことはまだわからないけど、でも、なんかおかしいよね」

「おかしいって、なんだよ」

俺の質問に、いつも快活な島田が珍しく歯切れ悪く答える。

「うーん、なんとなく、流れが変わってきてるっていうか」

「なんだそれ、具体的に言えよ」

「今までのウチのやり方が、通用しなくなってきたのかもねえ」

話を続けたかったが、「あ、ごめん、呼ばれてるみたい」と島田は言い、一方的に電話を切った。

「なんなんだよ、全く」

言いながら、嫌な感覚を覚えた。俺のM社に続き、AAの営業一部がずっと担当してきていた大口顧客が数社、突然取引を停止した。何が起こっているのか。島田の「ウチのやり方が通用しなくなってきた」という言い方が耳に残っている。

HR特別室に戻ると、いつもソファでうつらうつらしている室長が、珍しく慌ただしげに動いている。ジャケットを着て、鏡の前でネクタイを締めようとしているではないか。

「あれ、どこか行かれるんですか」

「ああ、うん、ちょっと病院にね」

病院? どこか具合でも悪いのだろうか。そんな風には見えないが……。聞いていいものか迷っていると室長はビクリと震え、「ああ、びっくりした」と言ってポケットから携帯電話を取り出した。

「いきなり鳴るから嫌だよね、電話って」

いや、いきなり鳴らない電話などないだろう。しかもバイブにしているから、厳密に言えば鳴ってはいない。

「はい、宇田川です。ああ、社長! どうもどうも。え? ええ、いや、そんなの全然お気になさらず、ええ、今から伺いますので」

考えてみれば、室長は少し島田に似ている。小太りな体型も、とぼけた話し方も、異様な呑気さも、俺と話が噛み合わない所もそっくりだ。もっとも、まがりなりにも入社時から3年間を一緒に過ごしてきた島田と違い、俺は室長という人間のことをまだほとんど知らないのだが。

「ねえ、君……ええと……」

「村本です」

「ああ、そうそう。村本くん。悪いんだけど、ネクタイ締めてくんない?」

「は?」

「昔から苦手なんだよねえ。何度教えてもらっても上手に結べないんだよ」

「……」

なんなんだこの人。

仕方なく言われた通りにしてやると、「ああ、上手上手。やるねえ」などと無邪気にはしゃぐ。俺より一回り、いや二回り近くは上のはずなのに、まるで子どもみたいだと思う。

「よし、じゃあ、行こうか」

「は?」

「は? じゃないよ、研修だよ研修」

「いやだって、病院に行くってさっき……」

「うん、アポ先が病院なんだよ」

ああ、そういうことか、と納得する。俺たち求人業界は、人を採用するすべての会社がクライアントになり得る。飲食業、製造業、士業、そして、医療業。実際、病院、歯科、接骨院、薬局、あるいは老人ホームやデイサービスといった介護施設などとの取引も多いのだ。

だが、ここはHR特別室。俺の予想を常に裏切ってくる。

「約束してた社長が入院しちゃってさあ。病室で商談しようって言うもんだから」

第3話【3】につづく

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