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第3話『息子にラブレターを』 【10】/これからの採用が学べる小説『HR』

この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。
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第3話【10】

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病院の近くで拾ったタクシーで、環七通りを新川方面へと進む。緩やかな高架を登り、カーブしながら降りた先の信号を左折すると、下町感が一気に強くなった。

一言で言えば「住宅地」なのだろうが、低層のアパートや古びた平屋などの合間に、個人経営の畳店、院の字が旧字体で書かれた個人病院、軒先でコロッケを販売している肉屋などがある。生活に必要なものが、ゴチャッとひとまとめになっているような、そんな雰囲気だ。

中澤工業はそんな下町の一角にあった。

ケヤキ並木に沿った小砂利敷きの空き地。その片隅にサビの浮いた看板があり、「中澤工業」と社名がある。その下には「ジムショムコウ」と、どこか戦時中を思わせる独特のカタカナフォントで書かれた案内がある。運転手は勝手知ったる様子で砂利の空き地に車両を乗り入れると、ぐるりとUターンするようにして停車する。

「着いたよ」

「運転手さん、この会社知ってます?」

金を用意しながら室長が聞くが、運転席より工事現場が似合いそうな無愛想な運転手は、面倒くさそうに首を振った。

「こんな工場はいっぱいあるんでね。いちいち知っちゃないですわ」

領収書を受け取って、車外に出る。タクシーはすぐにいま来た道を戻っていった。きっと葛西駅に戻るのだろう。

自分の足で砂利敷きの地面に降りると、なんとなく息苦しさを覚えた。4月の割に最近は気温が高く、鋭い日光に焼かれた地面から、愚痴のような熱気がのぼってくる。地域柄なのか、工場というイメージからなのか、空気が埃っぽい気がして、俺は思わず口元に手をやって咳払いをする。

「いいねえ、この感じ。嫌いじゃないなあ」

俺と違い、室長は妙に嬉しそうな顔で言うと、歩き始める。

「ジムショムコウ」の横にある矢印の先、十五メートルほど奥まった場所に、中澤工業の社屋があった。カビのような黒い汚れが浮き出たブロック塀、その向こうに公民館のようにも見える小ぢんまりとした平屋建てが見えている。そしてそのさらに向こうに、アパート3階建てくらいの高さの建物がある。こちらはそれなりの大きさだ。見た感じからすると、例の検査機器の部品を作る製造工場なのだろう。

病院で会った社長の話からすると、中澤工業は小規模な会社だ。中小企業というより、零細企業と言ったほうがいいかもしれない。確か社員が3人、事務員が2人、それからベトナムからの研修生たち。研修生の人数が不明だが、こういうケースの場合、多くても5人程度だろう。つまり社長を入れて10人程度の組織ということになる。

歩きにくい砂利敷きの空き地を進みながら、おいおい、と思う。営業三部じゃあるまいし、なぜ俺がこんな小さな、こんな寂れた雰囲気の会社に来なきゃならない。営業一部が担当するのは、社員が1000人2000人いるのが当たり前の大企業だ。1万人以上の組織も珍しくない。いったいこの案件で、室長はいくらの契約を取るつもりなのだろうか。組織規模で考えれば10万から20万がやっと、取れても1ヶ月掲載で50〜60万が限度だろう。

あるいは、と思う。見た目も含めて同期の島田に似た室長だ。もしかしたらあいつのように、しがない町工場から何百万もの契約を勝ち取るつもりなのかもしれない。

なんとなく横目で室長の顔を伺うが、何が嬉しいのか、子供のように目を輝かせながらキョロキョロしている。この人に営業などできるのだろうか。

俺の視線に気づいた室長が、「ん? どしたの」と聞いてくる。

「いや、なんか嬉しそうだなーと思って」

「いやね、僕、こういう雰囲気好きなんだよねえ。ピカピカのオフィスなんかより、ずっと味があると思わない?」

第3話【11】 につづく

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