見出し画像

第4話『正しいこと、の連鎖』 【22】/これからの採用が学べる小説『HR』

この小説について
広告業界のHR畑(求人事業)で勤務する若き営業マン村本。自分を「やり手」と信じて疑わない彼の葛藤と成長を描く連載小説です。突然言い渡される異動辞令、その行き先「HR特別室」で彼を迎えたのは、個性的過ぎるメンバーたちだった。彼はここで一体何に気付き、何を学ぶのか……。
*目次*はコチラ

第4話【22】

俺は正直に話した。

具体的な計画などないまま正木をつけたこと。途中で正木に気づかれて、咄嗟に近くにあったあの店に誘ったこと。

そして、正木自身は今の境遇を「甘くはない」と認識しつつも、自分のような人間が高木生命のような大きな企業に拾ってもらって「幸運」だったと考えていること。

「彼はなんというか、彼なりのロジックで今の状況を受け入れていると感じました」

黙って聞いていた高橋は、三分の一ほど残っていたシャンパンをくいと飲み干す。

「おかわり」

差し出すグラスをバーテンが受け取り、「かしこまりました」と頭を下げる。

「何よ、彼なりのロジックって」

「……オフィスで話したでしょう。野球の話。彼が怪我をしたことでチームが負けて、それ以降のリーグ戦にも参加できなくなったって」

「ああ、そうだったわね」

高橋は電子タバコを咥える。すぐに、昼間とはどこか違う、甘い香りが漂い始める。

「ネットに書かれてたあの情報、自殺未遂がどうのって話がもし事実とした場合、彼が安定や保身を一番に考えるのも無理はないと思いました。……実際彼はいま、BAND JAPANの正社員なんだ。年収も高いし、BAND JAPANの後ろ盾である高木生命の社長からも期待されるような存在です。そう考えれば、彼の言っていることも一理あると言うか」

「それであんたは、言われるがままを受け入れたってわけ?」

ふうっと煙を吐きながら高橋が言い、俺は思わずカッとなってそちらを見る。

「じゃあ、高橋さんならどうするんですか。だいたい、誰がどんな職場で働こうが勝手じゃないですか。しかも、本人はそれでいいと言ってる。むしろ、自分は恵まれてるって認識なんですよ? 洗脳だなんだって言いますけど、それを外野がどうこう言う権利はないんじゃないですか?」

俺の剣幕を制するように、お待たせしました、とバーテンがグラスを高橋の前に置く。高橋は小さく「ありがと」と言い、それをゆっくり一口飲む。それから少し大きめのため息をついた。

「鬼頭はさ」

「……はい?」

突然出てきた名前に、俺は素っ頓狂な声を出してしまった。だが高橋はおかまいなしに話を続ける。

「あいつは、入社当時から目立ってたのよね。ああ見えて要領がいいし、頭の回転も早い。商品のこと、施策のこと、上へのアピール方法。誰よりも早くそれを理解して、実践していったわ。結果、あいつは売れた」

「……聞いたことあります」

そうだ。今でこそ“変人”扱いされる鬼頭部長だが、かつてはとんでもない売上目標を毎週達成していたスーパー営業マンだったと聞いている。

「AAのような営業主体の会社にとっては、売上をあげる奴が正義よね。自然、鬼頭はどんどん出世した。リーダーになり、マネージャーになり、統括マネージャーになり、そして部長、そして今では取締役」

「まあ……実際すごいですよね。羨ましい」

本心から言った。あの人個人に対して明確な憧れを抱いているわけではないが、営業マンとしてこれ以上ないような理想的なキャリアだとは思う。しっかり結果を出し、それが認められ、相応のポジションや給与を勝ち取ったのだから。

だが高橋は、「そうかしら?」と言ってタバコを吸う。

「周りがどう思っているかは別として、あいつ自身は今、大きな壁にぶち当たってると感じてるはずよ」

「壁?」

「だからこそ、取締役になった途端、HR特別室なんておかしな部署を作った。そしてそこに、私みたいな跳ねっ返りを配属させた。私だけじゃないわ、保科にしろ室長にしろ、それまでいた部署では変人扱いされる“異端児“よ」

そうだったのか。やはりHR特別室は鬼頭部長が作った部署だったのだ。そして、メンバーを選んだのも。

だが、それならさらに謎は深まる。

「どうして、そんな部署を作ったんです。それに、“壁”って、一体何なんですか」

俺が言うと、高橋はなぜか嬉しそうに目を細め、紅い唇の端から甘い香りの煙を吐く。

「それをわかってほしくて、あんたを送り込んだんじゃないの?」

「……え?」

「この一週間あんたを見てて、なんとなくわかったわ。多分あのバカは、あんたならその壁の本質を見極められるんじゃないかって期待したんじゃないの」

「期待……俺に、ですか」

それは違う、と俺は頭の中で反論する。俺はM社の一件で鬼頭部長を怒らせた。その罰としてこのおかしな部署で研修を受けることになったのだ。

……確かに研修を言い渡されたのはM社のキャンセルが発生する前だったが、それでも、電話で話した鬼頭部長が怒っていたのは間違いない。

「まあ、期待と言っても、別に営業力云々の話じゃないわ。私たちがこれからぶつかっていく壁は、小手先のテクニックで乗り越えられるようなものじゃない」

「……」

「そんな中で鬼頭はさ、あんたのその、なんていうの、すれてるようで意外とナイーブな所? 冷めてるようでいて、意外と人の感情を無視できない所? わかんないけど、そこに何かを期待したのよ」

「……なんですか、それ」

褒められているのかけなされているのか、漠然とした話でよくわからない。そもそもこれは一体、何の話なんだ。

俺は咳払いをして、言った。

「とにかく話を戻しましょうよ。高橋さんはこの案件をどうするつもりなんですか」

俺の言葉に高橋は「さあねえ」と呑気な返事をよこす。

「どうするかはまだ決まってないわ。その答えは多分、もうすぐここにやって来る」

「はい?」

俺が言った時、背後からチン、という音がして、エレベーターが到着した。

第4話【23】につづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?