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35年間、好きな事を続けるDJ TAC(52歳)⑤〜ディスコからクラブへ〜

クラブ文化の登場

90年代に入り、ディスコの様相が変わってくる。

 バブルの崩壊により常連客にならない「ノリ」で来ているお客さんが一気に減った。

少人数単位の夜遊びが主流となり、カラオケボックスが定着した。また、その裏には風営法の強化もあった。

遊び方のトレンドが大きく変わってきたのだ。

そこに合わせて「クラブ」がディスコのポジションに取って代わるようになってきた。

「クラブ」は「ディスコ」と対照的な空間だ。

照明ギラギラで開放的な広い空間であるディスコ。

一方、暗めな照明による閉鎖的で隠れ家感を持つクラブ。

ディスコへのマンネリ感が先進的で斬新な新しい文化を求めたのだ。

提供するものが似て非なるものとなった。

これまでディスコでは「裏方」としていたものを「エンターテインメント」としてやるようになった。
ショーケースとしてダンサーがステージに上がるようになる。ライブパフォーマンスが始まる。

そして、その間を持たせるためにDJもステージに上がる。

それがクラブ文化を形成していった。

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ディスコとクラブの違い


90年代初期から目に見えてディスコからクラブへと夜遊びの形は移り変わっていった。
少なくともTACさんが経験したディスコとクラブの違いを簡潔に表してみた。

基本ディスコは、年中無休でお店のスタッフ(DJ含む)が運営することが多い。

クラブは、イベントがある時にオープンする。
フリーのイベンターがパフォーマーをブッキングし、日替わり(箱貸し)で運営する。お店のスタッフはパフォーマーとは別で常駐していることが多い。

そして、どちらかというとお客さんがパフォーマーを見に行くというライブハウスに近いものになったとも言えるが、大きな違いは「お客さん主体」というディスコの名残があるということ。

だからこそダンスフロアがある。

93年、DJ TACがサーカスで働き始めて7年が経過していた。週6勤務だったので、年間約300日は現場に出ていた。経験を積めているという自覚もあった。

既に25歳になる時には、後に有名となるDJ達が通うレコード屋を経営するなど、DJを中心として多角的なことをやっていた。

DJが裏方からパフォーマーというように立ち位置が変わりはじめ、20代前半にはテレビやラジオなどのメディアにも呼ばれ始めた。

この辺りでやりたいことが全て出来てしまっていた。
一区切りついたと感じていた。

つづく

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