見出し画像

初めてでもOK!【京都一人旅】一泊二日で坂本龍馬ゆかりの地を巡ってみました

~その3:怒涛の史跡めぐり~

京都一人旅もいよいよその3となりました。

今回は2日目の旅程をご紹介したいと思います。

前回までの記事はこちら。

素晴らしい朝は二寧坂

7:30頃に起床し、身支度をしていると部屋をノックする音が聞こえました。

待ちに待った朝ごはん。つぶら乃のたまごやきサンド。

朝からボリュームたっぷりのたまごやきを堪能できてテンションが上がりました。
朝ごはんを食べながら今日行くところをGoogle Mapで検索します。

思った以上に数があるな。本当は三十三間堂の千体千手観音立像東福寺の紅葉も見たかったのですが。

今回の趣旨と違う場所は時間的に諦めることにしました。
お腹を満たしたところで、まだ8:30。

昨日は休館で入れなかった「幕末維新ミュージアム 霊山歴史館」は開園が10:00からです。

少し時間があるので、スターバックスコーヒー二寧坂ヤサカ茶屋店に行ってみることにしました。
ついでに婚活中の友人の縁結び守りを買いに地主神社(清水寺の敷地内にあります)も寄ることにしました。

朝8:00の二寧坂は静かで京都らしい雰囲気がタイムスリップしたかのように感じさせます。

その一画にひっそりと佇むスターバックスコーヒー二寧坂ヤサカ茶屋店。
あまりに周囲と溶け込んでいるので、存在に気づかず一度通り過ぎてしまいました。

中もモダンなスタバと庭園を魅せる古風な建物が融合してアートのようです。

スターバックスコーヒー二寧坂ヤサカ茶屋店 店内

私の定番でありますチャイティーラテ(ソイミルク)を購入し、地主神社へ向かいました。

財布を忘れたサザエさん

優雅な気持ちで二寧坂の参道を歩き、清水寺の入り口に着いた時。
朝の散歩に身軽さを求めてしまった私は現金を持ってくるのを忘れたことに気づきました。さすがにお寺の拝観料はキャッシュレスというワケにはいかなかったようです。

慌ててホテルへ戻り、財布を持参して、地主神社へ参拝しました。

結局、かなりの誤算でした。往復の時間で20分近くロスしたと思います。
しかもホテルから清水寺までは急な登り坂です。

だいぶ汗をかきましたし、とても疲れました。
地主神社では、友人と自分のお守りを買って、おみくじを引きました。
末吉でした。凶じゃなかっただけ、ありがたい、ということで。

待望の「幕末維新ミュージアム 霊山歴史館」

地主神社でありがたいお言葉を頂き、その足で霊山歴史館へ向かいました。
到着したのは、ちょうどぴったり10:00でした。

お客さんは私と夫婦(もしくはカップル)の2組しかいません。

貸し切りのような気持ちで見学することができました。
玄関には坂本龍馬がいます。
龍馬ってこの写真しか見たことない、という人が多くいます。
一番有名な写真でしょうか。

霊山歴史館 入口

袴(はかま)にブーツ。当時の武士としては珍しく髪型もぼさぼさ。
中学生の私は、この姿を歴史の教科書で見たときに、龍馬の斬新なスタイルに魅了され、心奪われてしまいました。
一説によると懐(ふところ)には、当時珍しい銃を身に着けているとのこと。

歴史館の中では龍馬とツーショットが撮れるフォトスペースもあります。
近江屋での暗殺シーンが再現された模型もかなりリアルで、
他にお客さんもいないので、ずっと立ち止まって見てしまいました。

お土産に「幕末検定クイズ龍馬編」という冊子と、
「手造り京根付け」を購入。
とてもいい思い出にになりました。

京都の街中へいざ出発

ホテルへ戻り、チェックアウトを済ませ、京都駅のコインロッカーへ荷物を預けました。いざ出発です。

【実際に行けた場所】
・会津藩駐屯地跡
・伏見土佐藩邸跡
・寺田屋
・西浜(龍馬避難の材木小屋跡)
・近江屋
・土佐藩邸跡(河原町通り)
・お龍 独身時代の寓居跡
・大黒橋(龍馬通り)
・坂本龍馬の寓居跡(酢屋)
・後藤象二郎の寓居跡
・池田屋騒動の跡
・武市瑞山先生の寓居跡(通称:武市半平太)
・吉村寅太郎の寓居跡(土佐藩士)
・桂小五郎の寓居跡
・佐久間象山避難の跡

この中からいくつか抜粋してご紹介したいと思います。

まずは電車を乗り継いで、伏見桃山駅で降りました。
この辺りは、薩摩藩士や坂本龍馬が懇意にしていた船宿寺田屋がメインですが、その途中にいくつか史跡があったので、立ち寄りました。

途中の蓬莱橋からの眺めは、当時の江戸の人々や地方からの旅人がこの河を渡って、寺田屋をはじめ京の街へ降り立ったのだろうと思うと、感慨深い気持ちになりました。

寺田屋

そんな思いで歩いていると現れたのです。
初めて見た寺田屋。
当時のまま残っている訳ではないと分かっていても感動ものでした。

慶応2年1月23日(1866年3月9日)、薩長同盟を進める坂本龍馬と護衛役である長府藩士の三吉慎蔵が、伏見奉行の捕り方に襲撃された場所がこの寺田屋でした。龍馬が妻と呼んだお龍の素早い行動力と機転で、龍馬は怪我を負いながらも、なんとか逃れることができたと言われています。

寺田屋の庭で、龍馬が詠んだとされる詩が書かれた石碑を見ることができ、
改めて心に響きました。

世の人はわれを何とも言はばいへ わがなすことは我のみぞしる
(世の中の人が私のことを何と言おうと、自分がすることは自分だけが知っている)

寺田屋の中はこんな感じです。

龍馬の伝記で実際出てくるものばかりで、歴史をより身近に感じることができました。

近江屋

実際に見に行くのはつらかったのですが、龍馬が暗殺された近江屋跡へ。

建物もなくなっていて、繁華街の一画なので、これもまた通り過ぎそうになりました。

坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難の地 
今はお寿司屋さん

その身を追われたていた龍馬は、海援隊本部の拠点であった酢屋(材木庄)から移り、醤油庄であった近江屋にてひっそりと寝泊りをしていたのですが、陸援隊長であり、当時の相棒ともいえる中岡慎太郎が訪ねてきたその日、十津川郷士と名乗る何者かに短い命を絶たれてしまいました。

即死だったそうです。中岡慎太郎も2日後に死亡したと言われています。

朝に見た歴史館での近江屋の模型を思い浮かべながら史跡に書かれた説明を読んでいたら、なんとも悲しい気持ちになりました。

ふと我に返ったときに空腹に気づきました。
すでに14:00を過ぎていたと思います。

マップ検索と写真撮影でスマホの充電もかなりやばいことに。
商店街にあった面白そうなお店を見つけて入りました。

SHIN-SETSU シンセツ

かわいらしい店構えと親切にしてくれそうな店名。
恐れながら、スマホを充電してくれるか聞いてみました。
かわいらしい店員さんは快く応じてくれ、私もつかの間の休憩をとることに。
クリームソーダがメインのお店なのですが、私はパンケーキで空腹を満たすことにしました。

ハート形のティーカップがキュートすぎて、癒されました。
店内もインスタ映えばっちりなのに、こじんまりとした雰囲気なので一人でもOK。スマホも自分も回復して、旅を再開です。

海援隊本部と佐久間象山避難の跡

SHIN-SETSUから少し歩いていくと木屋町通りがあります。
その通り付近に史跡が点在しているのです。

約15分ほど歩いていく中で土佐藩邸跡から佐久間象山避難跡まで10個の史跡を見ることができました。

土佐藩邸跡


海援隊本部跡「京都酢屋」(坂本龍馬 寓居跡)

海援隊本部が置かれていた酢屋(材木庄)跡は、存在感がすごかったです。ここで海援隊士たちにより、日本の近代化を推し進めるための議論が日々交わされていたのでしょうか。

史跡巡りの最後は佐久間象山の暗殺された場所です。

佐久間象山避難の跡

立派な石碑が建てられています。幕末といえばこの人でしょうか。
佐久間象山は、松代藩士で兵学者・朱子学者としての肩書を持ちます。

彼は中国古典の『孫子兵法』から

彼を知り己を知れば百戦殆からず
(敵を知って、味方のことも知れば、決して戦で敗れることはない)

という考えを用いて、西洋の技術を学び、日本の夜明けを導こうとしました。

この教えに勝海舟坂本龍馬も影響を受けたと言われています。

そんな佐久間象山の史跡を最後に拝むことができ、満足な旅の終わりとなりました。

帰路につきます

ここまで来て私は歩き疲れてしまいました。
ちょうど京都駅行のバスが通りかかったので、そのまま乗っていくことに。

京都駅で荷物を拾って、駅近くのマッサージを受けに行きました。
そこでもお決まりのスマホを充電してもらい、
なんとかモバイルバッテリーを買わずに過ごすことができました。

京都のみなさま、親切にしてくださったことを忘れません。

新幹線の時間まで小1時間あったので、旅の締めとして「京都拉麺小路」にて大好きなつけ麺を頂きました。

めん匠 たか松のつけ麺

麺には、長野県産小麦を石臼で挽いた全粒粉を使っているそうです。
私は1度に何回か味変ができる横浜家系ラーメンつじ田のつけ麺が好きでよく食べるのですが、そのような味変を楽しめるラーメンが好きな方にはたか松のつけ麺がおすすめです。
全粒粉が素材というのもヘルシー志向な人には嬉しいですよね。

最初から最後まで、大満足で初めての京都一人旅
「坂本龍馬のゆかりの地を巡る」を終えることができました。

次は、高知県や長崎県にて「坂本龍馬のゆかりの地を巡る」をトライしてみたいと思っています。

最後までお読みいただきありがとうございました!











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?