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メヘレンの広幅レース ー超レア・シリーズー

 私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。


18世紀のレース商人たち

ー メヘレン・レース

 フランスでマリーヌと呼ばれたメヘレン・ボビンレースは、18世紀を通し夏の装い用のレースとしてレース商たちは4月頃から取り揃えた季節商材でした。

 一般的に連続糸技法のボビン・レースだと考えられているメヘレン・レースですが、製作された地域によってはピエス・ラポルテの技法が用いられていました。

 主に、男性用のクラヴァットや女性のラペットやボンネット、アンガジャント(袖口飾り)などが製作されていました。

 また最も多く生産されたのはさまざまな衣裳の装飾に活用できるボーダーです。現在でも18世紀の質の良いメヘレン・レースのボーダーは入手が難しいレースではありません。

 殊にフランドルのレース商によって企画監修されブリュッセル周辺地域で生産されたメヘレン・レースは美しく洗練されたものが多かったと伝わります。

ー 管理された生産工程と明確な料金体系

 当時のブリュッセルのレース商たちは常に他国の商人たちによる産業スパイの脅威に晒されていました。

 しかし、ブリュッセルでの徹底的な生産の管理体制やレース商たちの企画力や監修のディレクション力に勝るものはなく、たとえ職人たちを引き抜いたとしてもその品質を保つことはできず、ブリュッセルの名声は高まっていきました。

 レース商たちが最も気にかけて重視したのはレースのデザインでした。レース商たちは常に流行を敏感に察知し、専属契約をしていた図案家によりデザインされました。そのデザインを基にレース商たちはパート毎の仕事を職人たちに配分し、回収したモチーフを組み立てていくプロデュース能力がレース商には不可欠でした。

  ピエス・ラポルテ 》と呼ばれる組み立て技法が発達したブリュッセルでは、職人の特性に合わせた仕事の割り振りと、それを組み立て上げて完成させるスキルがレースの出来不出来を左右したのでレース商たちの死活問題となる必須の能力だったのです。

 この技術は他地域では生産の難しい広幅の大きな作品を生産することを可能としました。他地域では連続糸技法を採っていたために、大きな作品を製作する際には帯状のレースを何本も繋ぎ合わせていかなければならず、自ずとそのサイズには限界がありました。

 ブリュッセル周辺で用いられたモチーフをパーツ毎に製作し、その隙間を後からメッシュで繋いでいく技術は非常に大きな作品を生産するのに有効で、18世紀に作られた大型の作品が今でも美術館などに所蔵されています。

ブリュッセル・ボビンレースのベッドカバー ( 1730年-1740年ごろ )
アントワープ・ファッション美術館蔵 ベルギー国王ボードゥアン1世からの永久貸与

 ブリュッセルのレース産業は徹底した生産体制と同時に、明確な料金体系を持っていました。レース商は顧客からの注文に応じレースの種類と希望値に合わせた商品を適宜用意しました。

 レースの品質はさまざまで、顧客の要望や資金力に合わせた真摯な対応を心がけていたことが当時の資料から知ることができます。

特別な誂え品

ー 特注のレース

 ブリュッセル・ボビンレースの大きな作品は生産性の良さから多く残されていルので、18世紀当時にも相当数製作されたことが容易に想像できます。

 しかし、メヘレン・レースに関しては大型の作品は多くは残されていません。ブリュッセル・ボビンレースよりも生産性で劣り、製作に膨大な時間を要したために余程の特注でない限り製造されなかったとされています。

メヘレン・レースのクラヴァット・エンド ( 1725年 - 1730年ごろ )
ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵
メヘレン・レースのクラヴァット・エンド ( 1725年 - 1730年ごろ )
筆者のコレクションから

 メヘレン・レースの大型の作品はクラヴァット・エンドやアンガジャントなどの服飾の装飾品が主で、僧衣の裾飾りや室内装飾用のような広幅ボーダーは殆ど製作されなかったのか美術館などにも残されていません。

 レースの専門書でも所収している書籍は稀で、レース・コレクションをもつ主要な博物館や美術館でも見当たらないので断言できるんですね。

 広幅のメヘレン・レースはレース界のスーパーレアアイテムで滅多にお目にかかれないどころか存在を知らないコレクターすら多いようです。

 それは、メヘレン・レースが連続糸技法だとする専門書も多く、60cm以上もある幅のレースを製作するにはあまりにも技術的な制約が大きいと考えるからではないでしょうか。

メヘレン・レースの広幅ボーダー  ( 1740年代 - 1750年代 )
クーパー・ヒューイット・スミソニアン国立デザイン博物館蔵
メヘレン・レースの広幅ボーダーの部分  ( 1740年代 - 1750年代 )
クーパー・ヒューイット・スミソニアン国立デザイン博物館蔵

 このレースはアメリカのクーパー・ヒューイット・スミソニアン国立デザイン博物館に所蔵されている18世紀中期に製作されたメヘレン・レースの広幅ボーダーです。

 同館が1943年にジョン・イネス・ケーン夫人から購入したもので、上部が切り取られているのが確認できるので18世紀当時は現在より広かったことが窺えます。

 18世紀のフランドルのレース商人の記録を調べるとこのような大きな作品は特別な注文がない限り生産されず、受注を受けてから都度新規にデザインを起こし完全な特注品であったことがわかります。

ー 室内装飾用の『超』大型作品 

 メヘレンのレースの大きな特徴がそのデザインの完成度の高さにあります。植物などの写実的な表現は同時代のブリュッセル・ボビンレースと比較しても非常に優れています。

 このような自然主義的なデザインは殊に大型の作品に遺憾無く発揮され、遺された作品群からもその表現力の高さを知ることができます。

花瓶に活けられた自然主義的な植物の表現 1750年ごろのクラヴァット・エンド
クリーヴランド美術館蔵

 私のコレクションにも、このような特徴をもった広幅の超大型作品がひとつだけあります。

幅95cmもある非常に珍しいメヘレン・レースの広幅ボーダー  ( 1750年ごろ )
筆者のコレクションから

 僧衣の裾飾りとして販売されていたものですが、上部が切り取られた状態で既に95cmもの幅があるので恐らくは室内装飾用に製作されたものかと思われます。

 修復痕が至るところにありますが、非常に珍しい広幅のボーダーでロカイユ文様のカルトゥーシュと花々、昆虫、柘榴などのオリエンタルな果実が優美にデザインされた美しいレースです。

 当時のレース商人の高度なデザイン監修能力を知ることができる大変興味深いレースです。このレースはとても興味深いレースなのですが、メヘレン・レースで広幅が製作されていたことは欧米でもあまり知られていません。

 今から300年ほど前にある特別な注文で作られたレースが長い年月を経てここ日本に辿り着いたのはとても感慨深いことですよね。

 アンティークレースを蒐集しコレクションを重ねると稀にこのような素晴らしいレースとの出会いを与えてくれ、レースに対する知識を深めてくれます。


おわり

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