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ヴェネツィア・レースの真実 その2

 私は東京と大阪で活動している、アンティークレースを研究する研究会『Accademia dei Merletti』を主宰し、「アンティークレース」についての考察や周知を行なっています。


ヴェネツィア・レースの流行

ー フランドルのボビンレースとの競合

 17世紀にはプント・イン・アーリアの技法は漸次的に発展していきました。

 1620年ごろから1640年ごろにかけて幾何学柄のモチーフから、エキゾティックなイスラム風の装飾や東洋的な植物文様に変化していきました。

ミーレフェルトの描いた『 初代バッキンガム公爵ジョージ・ヴィリアーズの肖像 』
1625年ごろには前世紀末から引きつづきスカラップ飾りの襟が流行しました
プント・イン・アーリアによる襟 ( 1625年ごろ-1640年ごろ )
( アムステルダム国立美術館蔵 )

 革新的なプント・イン・アーリアの登場で、人々はより複雑なデザインのレースを手に入れることができたのです。

エキゾティックで東洋的な植物文様のプント・イン・アーリア( 1630年ごろ-1640年代 )
( カプライ美術館蔵 )

 しかし、その一方でフランドル製の優美なボビンレースも人気となっていたのでした。ボビンレースの軽快で繊細な表情や、その軽やかさも当時の重厚な衣装との対比で好まれたのです。

 ヴァン・ダイクの描いたチャールズ1世の『 王妃ヘンリエッタ・マリアの肖像 』 ( 1632年 )
フランス王家出身の英国王妃が身につけたフランドル製のボビンレース

 このフランドル製のボビンレースを愛好したひとりがデンマーク国王のクリスチャン4世( 1557-1648 )でした。クリスチャン4世はフランドルのレースを愛し、戦場でも常にレースを身につけていたそうです。国王のレース熱はデンマークにレース産業を招致することとなり、トゥナー・レースの伝統が生まれました。

ー ポワン・ド・ヴニーズ

 ヴェネツィアのニードルレースがフランドルのボビンレースに対して優位性をもつようになるのは1650年ごろを迎えてからでした。この頃ヴェネツィアで新たな様式のニードルレースが姿を現したのです。

 これはプント・イン・アーリアの技法を発展させ、デザインをより洗練させていくなかで生まれたものでした。

プント・イン・アーリアからポワン・ド・ヴニーズへの過渡期のレース
( ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵 )
ポワン・ド・ヴニーズへ変化したレース プント・イン・アーリアの要素を持ち合わせています
( カプライ美術館蔵 )

 新しい様式のヴェネツィアのニードルレースの流行を牽引したのは、ほかならないフランス王国でした。1659年に国王ルイ14世が成人して親政を開始、フランスは前王ルイ13世と宰相のリシュリュー枢機卿が進めていた中央集権化を完成させていくのです。

 このヴェネツィアの新しいレースがフランスに伝わったことを示す最初の記録は、それよりも少し前にさかのぼる1654年1月の勅令によって言及された以下の文章に見ることができます。

 《 passements, dentelles, points coupez de Flandres, points de Venise, de Raguse, de Gênes, etc. 》( パスマン、レース、フランドルのカットワーク、ポワン・ド・ヴニーズ、ポワン・ド・ラグーズ、ポワン・ド・ジェーヌ(ジェノヴァ)、その他 )の取引による収益の4分の1が国王に徴収される。

サンティナ・リーヴィー著『 LACE A HISTORY 』より

 1656年10月には「贅沢と過剰な習慣に対する勅令」の禁止品目に【 ポワン・ド・ヴニーズ 】( Point de Venise )が追加されました。
※ ( ポワン・ド・ヴニーズはフランス語で《 ヴェネツィア・レース 》の意味 )

 この奢侈禁止令は1644年に最初に発布され、そののち1656年までのすべての更新時には以下のレースのみが禁令の対象となっていたのでした。

 《 passements, dentelles entre toils, points de Gennes, pointignancs, points-coupez, ou autre ouvrages de fil’ 》( パスマン、布に嵌め込まれたレース、ジェノヴァのレース、ポワンティニャン(ボビンレースの一種)、カットワーク、その他の糸細工 )のみが禁止されていた。

サンティナ・リーヴィー著『 LACE A HISTORY 』より


 フランス王国で数度にわたって発布された「 奢侈禁止令 」を調べると、1656年になってはじめてヴェネツィアの新しいレースが財政的脅威と認識されたのがわかります。


グロ・ポワンと呼ばれるレース

ー コル・ラバ ( 前垂れ襟 )

 重厚なレリーフ装飾のヴェネツィア・レースは、王権の威厳を象徴するものとしてルイ14世の宮廷で取り入れられることになりました。

 1660年代に入り、フランスの宮廷服はますます意匠を凝らしたものへとなっていきます。

 1650年代後半から1660年代にかけて【 コル・ラバ 】( col rabat )と呼ばれる前垂れの付いた襟が流行しました。このコル・ラバにヴェネツィア・レースを飾るのが上流階級男性のステイタスシンボルとなりました。

 この重厚なレリーフ装飾のあるニードルレースはフランス語で【 グロ・ポワン 】( Gros point )と呼んでいます。これは17世紀当時の呼び方ではなく後世の研究家などが名付けた名称なので留意する必要があります。

 17世紀にはフランスではヴェネツィア・レースは全て【 ポワン・ド・ヴニーズ 】と呼んでいました。

ヤコブ・フェルディナント・フート( 1639-1689 )の描いた『 男性の肖像画 』
ヴェネツィア様式のレースで飾られたコル・ラバが見られます
ニードルレースのコル・ラバ
( エクアン城・ルネサンス美術館蔵 ( フランス ) )
1660年代のコル・ラバのレース製作用下絵
( クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館蔵 )

 このグロ・ポワンをはじめとするヴェネツィア・レースは、多くの書籍や日本人のディーラーによって全てヴェネツィア製として説明されています。

 しかし、当時の資料や海外のより詳細に研究をされた書籍によれば全てがヴェネツィアで作られたとは断言できないのです。

 その周辺の話は、その3でつづきをお話ししたいと思います。


その3につづく

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