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落ち着きのない大人

落ち着きがないのだ。

23年間この体で生きてきたが、これに気づいたのはごく最近のことである。同じ場所にずっと座っていると、どうにも足先がむず痒くなってきて貧乏ゆすりが止まらなくなる。
「貧乏ゆすり」という言葉の響きが必要以上に蔑まれている感じがするので、意識的に止めるようにはしている。しかし、足先のむず痒さを発散する手段を失った私は立ち上がり、どこか目的のない場所へ歩き出す。よく半年以上も同じデスクで8時間働けているものだ。いや、他の人と比べて席を立つ回数が多いことは、もはや職場の人には気づかれているであろう。

今、この文章を喫茶店で書いているのであるが、喫茶店に来るとタバコの本数が異常に増える。これもやはり落ち着きのなさ故なのだ。喫茶店は好きでよく行くのだが、過ごし方がよく分からない。大体コーヒーを1杯頼んでも5分足らずで飲み干してしまう私にとって、そこからは持て余すばかりである。今日は本でも読んでみるかと、買ったまま積み上がっているものの中から1冊持ち出してみたが「座席が高いな」とか「座席が高い割に机が若干低いな」とか「本を読む体勢が中々見つからないな」とかを繰り返しているうちに読書欲は減退していく。結局読書は諦めてまたタバコに火をつける始末である。喫茶店でゆったりと過ごすという行為は、大人としてかなり象徴的なものだと思っているため、今のうちに体を慣らして「落ち着き」というものを獲得していきたい。

話は戻るが、私は飲み物を飲むスピードが異常に早い。グラスに注がれているものは大体5分足らずで飲み干してしまう。これは酒であっても同じことで、ガンガン飲み干して次を頼む習性があるので会計が高くついて仕方がない。
何故こんなに飲むスピードが早いのか、今机の上で汗をかいているカフェオレを見て分かった。
店で頼む飲み物には大体氷が入っている。氷は時間が経つにつれて溶けていくことは皆さんご存知だろうか。氷が溶けることによってその飲み物が薄まることが物凄く嫌なのだ。飲み物というのはテーブルに運ばれてきた瞬間が1番美味い状態であるから、その間に飲んでしまおうという一種のせっかちさみたいなところがそうさせているのだ。
じゃあホットを頼めよと思うかもしれないが、ホットでも同じことだ。冷たかろうと熱かろうと同じ分数で飲みきるのが私だ。熱い飲み物は時間が経つにつれて冷めていくのは皆さんご存知だろうか。「アイスコーヒー」と「冷めたコーヒー」は似ているようで雲泥の差がある。熱いものは熱い状態が1番良いに決まっている。

落ち着きがなく、せっかちで、神経質な人間だというレッテルを自分で自分に貼ってしまい、軽く絶望しているが、それに気づけたことが今日の収穫だ。ここから落ち着いた人間になっていくぞ、という決意を6本目のタバコに火をつけながら固く誓うのであった。

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