人間、誰もが多重人格だという考え方。
多重人格という言葉を聞いて、プラスのイメージを抱く人は少ないはず。
でも、
人間、誰もが多重人格者という考え方を持てば、
その人のあらゆる面を達観して見ることが出来る。
度重なる殺人事件を起こした犯人が多重人格者だった。
解離性障害と病名がついている。
上記の点から考えると、マイナスのイメージを持ってしまうのは当然。
だけど、考え方を変えると180度違った見え方がある。
祖母の話
僕の祖母は数年前に脳梗塞で倒れた。
当時、たまたま滞在していた叔母が風呂場で倒れていたのを発見し、祖母はICU(集中治療室)に運ばれ緊急手術を受けた。
祖母の姿は孫の私には衝撃が大きすぎるほどの変わり果てようだった。
以前まで健康体だった祖母はリハビリに励み、見事とまで言える回復を遂げた。
身体の左半分が麻痺してしまう大きな代償を患ったが、失語症や認知症の症状は見られず、コミュニケーションはしっかりと取れるまでに回復した。
数ヶ月後、
僕は退院して家に戻ってきた祖母に会いに行った。
何の変わりが見られないとは言えないが、僕の知っている祖母がそこにいた。
夜になり寝室に向かう祖父母に着いて行った。
そこで長い時間、祖母と祖父と僕の3人で雑談をした。
いつも余裕があり他人のことを常に考えていた祖母。
打って変わって心配になるほどのネガティヴな発言を連ならせていた。
きっと、子供には見せれない弱い姿を孫である僕に見せてくれたのだと思う。
その後、高校生だった僕は空いている時間を見つけては往復4時間の道のりを往来した。
世話になった祖母との残された時間を大切にしたいと直感的に思ったから。
幸いなことにその直感はハズレ、祖母は会う度に本来の元気な姿を取り戻した。
家族でも祖父母の家に訪れる機会があった。
そこで感じたのは、実の娘である僕の母から見た祖母は僕から見たものとは大きく異なると言うこと。
「お母さん、病気になってからわがままになったよね」
母の目には以前までの祖母の姿はなかったらしい。
病気をする前の祖母は、自分の事は後回しにして常に人の事を優先するとても気が利く人だった。
病気をしてからは、思い通りに動いてくれない周りに対してすぐにイライラをぶつけるようになっていた。
そんな変化に違和感を覚えたのか、僕の母とその兄弟は祖母に対し少し気を使っているように見えた。
孫の僕より、子供である母の方が祖母を”完璧な存在,,として見ていたのだ。
祖母の変わりように、
まるで人格が変わってしまったかのように感じたのだろう。
だけど、
孫の僕からすると、祖母が祖父に頼っている姿を母たちよりも多く見てきたため、「その一面がより大きくなった」ぐらいの感覚で祖母に対してあまり大きな変化を感じることはなかった。
祖母を通して感じたこと
冒頭で「人間誰もが多重人格」と言いました。
本当に多重人格で悩んでいる人にとっては軽率な発言かも知れません。
結論から言うと、
祖母の顔は見る人によって違う。
もっというと、
祖母は人によって見せる顔が違う。
という事を伝えたかったのです。
人は誰でも、人を選んで見せる顔(人格)を選んでいる。
「好きな人と話すとき」
「親や兄弟と話すとき」
「初対面の他人と話すとき」
僕らは無意識のうちに一緒にいる人によって見せる顔を変えている。
祖母の経験からそう思うようになりました。
たとえどんなに大きな病気や事故をしてその人が変わってしまったと感じる事があったとしても、その人には元からその顔があり、ただその一面が大きく主張するようになったのだと考えると、人間は誰もが多重人格であるということも一概に否定することはできないのではないか。
僕はそう思います。
また、
このような考え方を持つことでどんな人に対してもよりフラットに接することができるはずです。
悪い一面しか見えなかった人から違う一面を発見することもできるようになる可能性も秘めていると思います。
人間は捉え方によって良くも悪くも感じることができる。
ならば、
より多くの視点を持ち、人に対して豊かな感情を抱いた方が得だと思いませんか?
最後に
最後まで本記事を読んでくれた皆様、ありがとうございます。
僕は都内を拠点に活動している映像作家の阿部と申します。
ミュージック・ビデオの監督をはじめ、プロモーション映像やCMのディレクションをしています。
ここでは、表現したいこと・伝えたいことを
文字に落として皆様にお届けできればと思い
ます。
では、また。
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