メイキング_オブ_勉強の哲学

欲望し続けるための〈制作〉〜『メイキング・オブ・勉強の哲学』

◆千葉雅也著『メイキング・オブ・勉強の哲学』
出版社:文藝春秋
発売時期:2018年1月

自己啓発書の体裁をとりながら勉強することの意義を考察して話題を集めた『勉強の哲学』のメイキング物です。『勉強の哲学』はいかに構想され、書かれ、修正を加え、書き継がれていったのか。その舞台裏を見せることもまた一つの勉強論、創作論となるのでした。『勉強の哲学』で論じられていた勉強のアート(技術)がまさにその書籍において同時並行的に実践されていたことが種明かしされるわけです。書籍でのこういう企画はもっとあっていいのかもしれません。

構成としては、大学で行なった講演や書店でのトークイベントの記録、ネットのインタビュー記事を再編集したもの、それに新たな語り下ろしを加えて一冊にまとめています。このほか〈資料編〉として手書きのノートやアウトライナーの一部もたくさん収録していて、いかにもメイキング物らしい作りといえましょう。

思考が無限のスパイラルに陥るのを防いでくれる「有限化」は『勉強の哲学』におけるキーワードの一つですが、ここではさらに噛み砕いて解説されています。たとえば睡眠の必要性などかなり具体的な助言がなされているほか、他者としての教師や友人も有限化の装置として考えられます。

また各種のツールや媒体の比較論において、有限性の観点から紙の本を再評価しているのも印象的。デジタルデバイスの場合、さまざまなことが出来ます。たとえば電子書籍デバイスでは、他の本のデータも読めるという潜在性は便利ですが、やはり集中を妨げてしまいます。しかし紙の本を読むときには、本当にそれしかできません。「紙の本の有限性は、圧倒的です」。

クリエイターは、作品という有限なものを、他者として生み出そうとします。「自分が考えたと思えないものが目の前にゴロッと出てくる」ところに創造のおもしろみがあるわけです。クリエイターは作品における他者性を「欲望」していると千葉は考えます。

ところで、ジャック・ラカンは、何かが失われるから人は不安になるのではなく、何かに近づきすぎて「欠如がなくなる」から不安になる、と考えたらしい。ゆえに、人間にとって欠如とは悪いものではなく、むしろ欠如が維持されている状態が必要だと千葉はいいます。

そこで「占い」の効用が論じられます。占いは、他人がじかに意見を言うものではないけれど、現実の因果性からは完全に切断されている。占いとは現実から切断された余白、欠如を提示するものといえます。

その観点からすると、占いもまた「制作」の一つと考えられるのです。欲望し続けるために、欠如のページをめくる。その一点で、ノート術も芸術も占いも、同じ「制作」という本質をもっているというわけです。
『勉強の哲学』が文学論・アート論としても読まれたという反響を意識して、本書のコンテンツでは著者自身がそれに応答しているようにも見受けられます。

『勉強の哲学』は、勉強の哲学の実践としても読むことが可能でした。その実践が読者(=他者)という有限性によってフィードバックされ、勉強の哲学がさらに補強されていく。それもまた現代における愉しい知の体験なのでしょう。 

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?