人工知能時代を善く生きる技術_Fotor2

失うことで可能性は開ける!?〜『人工知能時代を〈善く生きる〉技術』

◆堀内進之介著『人工知能時代を〈善く生きる〉技術』
出版社:集英社
発売時期:2018年3月

人工知能の発展をベースにした情報通信技術のハイテク化は、私たちを常時世界と結びつけ、膨大な量の情報にアクセスできる利便性をもたらしてくれました。でも本当に人工知能時代はバラ色の未来を約束してくれると考えていいのでしょうか。

その問いに対しては対照的な二つの態度があります。
一つは人工知能の進化によって人間は単純なルーティンワークから解放され自由を得ることができるとの楽観的な展望をもとになされる「待望論」。今一つは人工知能に象徴される技術の進展がもたらす社会のあり方に警鐘を鳴らす「脅威論」。

堀内進之介はその両者を批判します。「技術の危険性を指摘することができるのと同じだけ、人間の危険性を指摘することもできる」から。現代社会をデストピアにしないためには、技術も人間も、どちらも過信してはいけない。それは「技術と人間を截然と区別するのではなく、相互産出的かつ相補的な関係として捉え直すことを意味する」。

あたらしい技術が「脅威」になるのは、技術それ自体の問題というよりも、サービスとして社会にあらわれる場面で、必要以上に手助けすることでかえって状況を悪化させるイネーブリングの性格を帯び、共依存関係における支配を生み出すときです。

しかし新しい技術を単純に敵視して、それへのカウンターとしてヒューマニズムを持ち出すことも得策とはいえません。むしろイネーブリングを強化するだけである、というのです。

では、技術の便益を最大限に引き出し、現在の技術との関係を刷新するためには具体的にどうすればよいのでしょうか。

堀内はそこで「アンプラグド・コンセプト」なるものを提起します。その基本理念は、スマート化を牽引する「あたらしい技術」を、常時接続による複数タスクの同時的な処理技術の軛から解放し、それらを時空間的に適切に再販分する技術へと転換することを目指します。いわば「スヌーズ機能」です。
たとえば、休暇中は仕事のメールが来ても「休暇中」であることを伝える自動返信メールを送ることができる技術はすでに多くの企業が導入しています。またフランスでは、労働者に「オフラインになる権利」を与える法律が施行されました。勤務時間外は仕事のメールを送受信しなくてよいことが法的に認められたのです。

そのような「アンプラグド・コンセプト」は、本書でとくに言及されているわけではありませんが、つながることと切断することのバランスを考察した千葉雅也の『動きすぎてはいけない』の基本姿勢とも重なる点があるのではないかと思いました。

いずれにせよ、堀内のいう「アンプラグド・コンセプト」を支える思想は「技術による解放論」だと言えます。「技術による解放論」は、人間はこれまでにも「大事にしてきた物事」を失いながらも、しかし、それによって多くの可能性を獲得してきたという歴史を参照しています。そして、この時代でも、私たちは何かを失う運命にあるなら、ただ失うのではなく、やはり新たな可能性が生まれるようなかたちで失うべきなのです。

堀内はリチャード・セネットを引用して次のように述べています。

 かつてリチャード・セネットは、ルーティンワークは卑しいかもしれないが、それでも人間を守ってくれると言った。「ルーティンワークはAIに、創造的な仕事は人間に」というのは聞こえは良いが、創造的な仕事は、いつまでも終わらない仕事であるし、人間コミュニケーションも、ときには承認疲れや気疲れを引き起こす、終わりのない実践だ。そうした仕事や実践に、始終邁進せざるを得ない世の中に本当にしてよいのだろうか。(p199)

そう考えるとき、次の可能性と引き換えに失うべきなのは、他ならぬ「ヒューマニズム」かもしれません。
人工知能に対して、何かといえば「人間らしさ」を持ち出して対抗しようとするありふれた発想から脱却しようとする本書の考え方は私には新鮮に感じられました。 

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