子どもの人権をまもるために_Fotor

現場の活動と憲法をつなげる〜『子どもの人権をまもるために』

◆木村草太編『子どもの人権をまもるために』
出版社:晶文社
発売時期:2018年2月

1989年に国際連合で採択された「児童の権利条約」(発効は1990年)には日本も1994年に参加しました。さらに2002年には、この条約に関する2つの選択議定書が国連総会で採択されました。日本もそれぞれ2004年と2005年に批准しています。日本国憲法にも子どものための特別の権利規定がいくつかあります。26条と27条です。

では、子どもの人権は本当に守られているのでしょうか。「子どものため」と言いながら、大人にとっての「管理の都合」ばかりが優先されていることはないでしょうか。本書ではそうした一見シンプルな問いを投げかけて、子どもの人権をめぐる問題を様々な角度から検証します。そのうえで、子どもの人権を保障するための具体的な対策を提議していきます。

寄稿しているのは、おもに子どもたちと常日頃から関わっている現場の人たちですので、記述内容はおしなべて具体的。〈家庭〉〈学校〉〈法律・制度〉の三部に分けられた構成は初学者にもアプローチしやすいものといえるでしょう。

まず、家庭に関わる問題として、虐待、貧困、保育、10代の居場所、障害、離婚・再婚の問題が論じられます。

精神科医の宮田雄吾は、児童虐待には身体的な暴力以外にもネグレクトや心理的虐待のように目立たないが「残虐さが上手に隠され」ているものもあるといいます。また虐待を受けた子どもが社会へ出て行こうとした際、社会参加へのハードルの高さが大きな敵となるという指摘も重要。彼らに就ける仕事は限られています。つまり生活の困難という難題が控えているのです。「貧困対策はそのまま虐待を受けた子どもへの支援となる事」を私たちは知っておく必要がありそうです。

専門社会調査士の山野良一は「子どもの貧困」という概念が「貧困家庭」から家庭を除くことで強いインパクトをもたらしたことを認めながらも、子どもの貧困を解決するには「子育てや生活に困った苦しい境遇にある人たちすべてに応答的である社会」を作ることの重要性を訴えて説得的です。

保育の問題を論じる駒崎弘樹は、保育の概念を「養護」と「教育」の二つの視点から定義します。近年の研究では、乳幼児教育が集中力や自制心、共感能力といった非認知的スキルの形成に役立つことがわかってきました。保育の不足は子どもの「教育を受ける権利」の制限でもあるという認識は社会的にもっと共有されるべきだと思いました。

中高生世代の女子を中心に孤立・困窮状態にある青少年を支える活動を行なっている仁藤夢乃は、児童相談所の開所時間が平日の日中のみに限られていることを批判的に指摘します。児童の権利を保障するためには、子どもの保護のための窓口を広げていくことが必須であるという意見は当然のものではないでしょうか。

障害を持つ子どもについて論じる熊谷晋一郎は暴力の観点からその問題にアプローチします。障害児から暴力の被害をなくすためには、開放的・重層的なシステムを作ることで、支援者を分散することが重要となります。またその前提として言葉の問題にも言及している点には蒙を啓かされました。

建物が健常者向けにデザインされているのと同様、一般に流通している日常言語の語彙や語用は、健常者の経験を表現しやすいようにデザインされており、認知特性の異なる少数派は、既存の言語の中に、自分の経験をうまく言い当てる語彙や語用を見つけられない状況におかれやすい。すると、問題行動や症状と呼ばれるような振る舞いを通じて、コミュニケーションをとるしかなくなる。(p108)

以上を踏まえて、言語のバリアーフリー化ともいうべき取り組みが不可欠であるという主張には大いに納得しました。

親の離婚・再婚がもたらす子どもへの人権侵害はふだん話題にされることが少ないだけに、その問題に論及する大塚玲子の論考にも教えられるところ大でした。大塚は離婚や再婚の過程で子どもが経緯を知ることができずに不安や不信を感じることを繰り返し指摘します。それは子どもにとってたしかに重要な問題に違いありません。「子どもの意思を尊重する」こと。それが実体を伴ったものであることが必要です。

学校に関係するテーマとしては、体育・部活動、指導死、不登校、道徳教育、保健室、学校の全体主義が取り上げられています。

教育社会学者の内田良は、教育あるいは学校という概念が出てくると、安全と健康への権利の保障のレベルが大きく切り下がる状況を告発しています。たとえば市民社会では「傷害」や「暴行」になる行為が「体罰」として正当化されるといったことです。内田の処方箋はいたってシンプル。「子どもには安全に生きる権利がある」ことを再確認して制度や教育内容を組み立て直すこと。大人の側のやる気がそこで問われることになります。

大貫隆志は「指導死」なる概念を立てることで、子どもの最大の人権侵害である生命への危機を守ろうとします。学校の指導における「適正手続き」の確保を提案しているのはまさに正論でしょう。

不登校について報告する大原榮子は、再登校よりも自立の支援の重要性を訴える示唆的な論考を寄せています。その実践例として学生ボランティアの協力をもとに実施している「メンタルフレンド」の実践を紹介しています。大学生ボランティアが週に何度か派遣され、不登校の子どもたちと一緒に遊ぶという活動です。そこから人間関係づくりの回復、創出、育成をめざすという試みはもっと注目されてよいと思いました。

道徳教育と子どもの人権について考察しているのは、前川喜平。教育勅語への再評価が政治家たちによって口にされることも珍しくなくなった昨今、戦後民主主義や立憲主義の観点から厳しく批判するのは当然のことでしょう。また道徳の教科化に対する対抗策を論じているくだりもおもしろい。教育課程特例校制度を使えば道徳科に代えて「市民科」などの独自の教科を設けることもできるらしい。元官僚らしい実務的な提言です。

白濵洋子は養護教諭としての体験を通して保健室の人間模様について論じています。保健室は学校で唯一評価と無縁の空間であり、それゆえに子どもたちを安心させ避難所となっているという事実はきわめて示唆に富みます。

社会学者の内藤朝雄は学校の全体主義について論じています。学校教育をややデフォルメしたような論考は本書のなかでは少し浮いたような印象を受けなくもありませんが、小気味良い切れ味を感じさせる文章で、私は興味深く読みました。

法律・制度に関しては、児童相談所・子どもの代理人、里親制度、LGBT、世界の子どもがテーマとなっています。

家庭を失った子どもを施設と制度の両面から論じた弁護士の山下敏雅は、児童相談所の実態を報告したうえで子どもの代理人制度の充実を訴えます。里親・施設・代理人が協力し、子どもに多様な選択肢を広げることが重要だといいます。

社会福祉士でライターの村田和木の論考は里親制度に関するもの。日本では何らかの事情で社会が養育しなければならなくなった子どもについては施設に収用するのが一般的ですが、他の先進国では里親に養育を委託することが多いようです。里親制度は、うまく運用できれば、子どもが家庭のなかでの継続的な愛着関係を形成できるメリットがあります。

弁護士の南和行は自身の体験をまじえながら性的少数者の子どもの問題について論じています。子どものなかには、同性愛を自覚したり、性自認と割り当てられた性別のギャップに悩んだりする子もいます。何よりもLGBTの概念を知らされないことが、そうした子どもたちを追い詰めることになるというのです。マイノリティが自分の状況を適切に理解できる環境をつくること。彼らの苦しみをやわらげる第一歩はそれです。

土井香苗は、国際人権NPOヒューマン・ライツ・ウォッチが世界各地で行ってきた現地調査をもとに、子どもの人権侵害の実態を報告しています。身体の自由、中等教育を受ける権利などの侵害のほか、学校の軍事利用や児童婚の問題なども検証しています。幼いうちの結婚は、女性から教育機会を奪い、家庭内での種々の暴力にあうリスクを高めるなど、深刻な悪影響のあることが議論されていて海外の状況を知るうえでは勉強になりました。

以上をまとめた木村の総括的な論考も、憲法学者らしく理路整然としたものです。同時に国際条約の重要性について自省をまじえつつ指摘しているくだりは木村の研究者としての誠実さを感じさせるもので好感を抱きました。子どもの人権問題を考えるうえでは必読の一冊といっていいでしょう。

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