誰もが受益者になる〜『財政から読みとく日本社会』
◆井手英策著『財政から読みとく日本社会 ──君たちの未来のために』
出版社:岩波書店
発売時期:2017年3月
若年層向けの岩波ジュニア新書のなかの一冊。著者の井手英策は財政社会学の研究者です。標題どおり財政から日本社会の構造を分析し、これからの社会のあり方を探究する入門書です。
日本社会を財政の観点からみると、どのような特色をもっているでしょうか。小さな政府。福祉国家をささえてきた女性への負担。公共事業に依存した財政。……などなど諸外国と比較した場合にいくつかの特徴を見出すことができるといいます。
本書では現代の日本社会の構造を分析するにあたって、戦後の歴史を振り返っています。何故今のような社会ができあがったのか。その過程を歴史的な視野で検証していくのです。「私たちの財政には、私たちの社会の歴史と特質とがはっきりと刻みこまれている」と考えるからにほかなりません。
……日本の小さな政府をささえていたのは、勤労という、自己責任、自助努力を重んじる考え方でした。これと「総額に気をつかう財政」とが結びついて、政府に頼らず、自分ではたらき、自分の生活を自分で何とかする自己責任の社会ができあがったのでした。(p45)
勤労とは、戦時中に広く普及したことばです。戦争遂行のために総動員体制が敷かれ、「勤労奉仕」「勤労動員」なるスローガンが声高に叫ばれるようになったのです。戦後もニュアンスは異なるものの勤労の大切さを説く声は受け継がれ、高度経済成長期には「勤労する人たちのための政策」が財政の中心にすえられました。
また「総額に気をつかう財政」は、戦前の「高橋財政」によってインフレを防ぐために予算の総額をコントロールすることが提唱されて実現したもので、その流れが今日にいたるまで続いています。
井手は勤労を重視する日本の福祉国家のあり方を「勤労国家」と呼びます。それは本書の重要なキーワードの一つとなっています。
ただしこれからも日本社会が「勤労国家」としてやっていくことは難しいでしょう。それにはひとつの前提条件がありました。経済成長です。成長することによって個人の所得も増大して貯蓄をし、自分たちの責任で生きていくというあり方です。
逆にいえば、経済成長が停滞し始めると、とたんに人びとの生活の危機が訪れるのが「勤労国家」社会の宿命。今後は経済成長なしでも回っていくような別の社会を構想する必要があります。
それはどのような社会でしょうか?
──増税によって誰もが受益者になるような財政。井手の答えを簡潔にまとめるとそのようになります。自助努力や自己責任が重視される社会ではなく、国民すべてのニーズに対応するためにみんなで公平に負担するような社会です。一部の人だけを受益者にすると、受益感にとぼしく負担だけを求められる中間層や富裕層の賛同を得られないというのがその理由です。
具体的には「人間に共通のニーズをみたすため、社会のメンバー全員を現物給付の受益者にする」という財政をめざすことになります。現物給付とは、現金給付ではなく、子育て・教育・介護などの現物で給付されるサービスをいいます。
もっとも生活保護などの貧困対策を完全に否定するわけではありません。その点では、国と地方での役割分担を提唱しているのが注目されます。「国の税金を使って困っている人たちをささえるやさしさは、身近な社会での共感の先にあると思いませんか」という問いかけに井手の財政観が凝縮されているようにも思います。
ちなみに以上のような結論を導くにあたって、井手は小田原市の例を引いているのですが、それには少し違和感をおぼえました。被災した熊本城再建のために小田原城のイベントでの天守閣入場料を全額寄付した事例を一つのヒントとして取り上げ、「共通する必要」を考えることが、財政の基本となる他者への「共感」を生みだすという命題に結びつけているのです。
しかしながら、その挿話をそのまま公共政策の文脈にもちこむにはムリがあるように思えます。災害時の単発的な慈善と継続的な租税負担とはまったく別次元の話ではないでしょうか。
本書の結論に対しても諸手を挙げて賛成するというわけにはいかないけれど、繰り返し教育の重要性を力説している点には大いに共感します。財政の基礎知識を学び、その望ましいあり方を考えるための叩き台としては格好の一冊といえるでしょう。
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