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勉強のススメ〜『高校生と考える新時代の争点21』

◆桐光学園中学校・高等学校編『高校生と考える新時代の争点21 桐光学園大学訪問授業』
出版社:左右社
発売時期:2022年3月

桐光学園大学訪問授業シリーズの一冊。本書の講師陣は、岩田健太郎、阿部和重、伊勢崎賢治、大友良英、廣瀬純、平倉圭、安藤礼二、伊藤比呂美、木下直之、江原由美子、武田砂鉄、木村大治、桂英史、鴻巣友季子、小谷真理、中条省平、藤原辰史、清水克行、松永美穂、村木厚子、永田和宏。かなりシブい顔ぶれです。

教育や勉強の限界を指摘しつつその重要性を説く話が印象に残りました。

平和学研究者の伊勢崎賢治は「平和は教育できない」と言い切ったうえで教育の可能性を語ります。

 平和は教育できるでしょうか。僕はずっと考え続けていますが、その答えは、「できない」というものです。どんな人権教育、平和教育をやっても暴力の魅力に勝てません。
 それでも僕はまだ、教育を諦めていません。しかし、人権や平和は教育できないという前提に立たないと、本当の平和教育の次元には立てないのです。(p41)

伊勢崎の平和観は、当然ながらこれまでの平和維持活動の経験をもとにしたものでしょう。シエラレオネでは、学校を作り人権教育を行なっても卒業後に少年兵となり残虐行為に手を染める光景を見ました。そのような成り行きを知る伊勢崎としては、教育バンザイ的な発言に至らないのは充分に理解できます。

歴史学者の藤原辰史の〈食べることを考える〉と題された講義にも同様に勉強の限界を示す言葉があらわれます。

 勉強していると、絶望的な伝わらなさに出会うこともあります。私は「世界から飢餓がなくなる日」とずっと願って研究してきたのですが、なくなる気配さえない。そんなとき、自分の言葉が届かないことに愕然とするわけです。
 ……中略……
 ……勉強よりも大切なことが世の中にはたくさんあるということを知るのが勉強をするということなのかもしれません。(p232〜233)

勉強すると、わからないことが無限に増えていく。「でも、それが楽しいのです」という藤原の思いは読者にも共有できるものでしょう。

ほかには、武田砂鉄の〈空気なんて読まない〉が秀逸です。小学校の道徳の授業で使われる「かぼちゃのつる」という物語を批判するくだりは切れ味鋭い。

……かぼちゃが自由につるを伸ばしていると、犬やミツバチがやってきて「そんなところでつるを伸ばすと迷惑になる」と忠告する。かぼちゃはそれを聞かずに伸ばし続け、道路に出てしまってトラックにひかれてしまう。そこから「忠告は聞きましょう」「ひとの迷惑になることはやめましょう」との教訓を学ぶらしい。けれどもかぼちゃが太陽に向かって伸びていくのは自然の摂理。この物語は「ひとの個性をみんなで殺してしまう話」と武田が総括しているのはまったく正しいと思います。

郵便不正事件で逮捕起訴されながら無罪を勝ち取った元厚労官僚・村木厚子の〈拘置所のなかで学んだこと〉は自身の体験に裏打ちされた説得力ある内容で読ませます。本来なら公権力に対してもっと憤りを示してもいいような冤罪だったと思われますが、あくまで冷静に「ひとはあるとき突然支えてもらわないといけなくなることがある」と語り始めているのは知的な態度というほかありません。

映画や現代思想に詳しい批評家・廣瀬純の〈すべての料理は「骨付き肉だ」と言ってみる〉もいささかマニアックな語り口ながら独特の面白さを醸し出しています。著書『美味しい料理の哲学』をベースにしたもので、「すべての料理は骨付き肉構造を反復している」というテーゼはそれだけでは何のことやらさっぱり分からないでしょうが、料理を映画や音楽と重ね合わせる話は、私には興味深いものでした。
もちろんここで語られる「料理」は一つの比喩であって、みんな同じだという前提をもって「思考する」ことの意義を説くのが主眼です。多様性ばかりが強調される現代にあっては含蓄に富む問題提起ではないでしょうか。

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