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学問がとりこぼしたことへの自覚〜『時局発言!』

◆上野千鶴子著『時局発言! 読書の現場から』
出版社:WAVE出版
発売時期:2017年2月

上野千鶴子の書評に導かれるようにして、私が手にした本は少なくありません。本書は上野が毎日新聞や熊本日日新聞などの読書欄に発表したコラムを書籍化したものです。通常の書評とは違って「同じ主題のもとに複数の本をまとめて論じるというスタイル」を採っているのが特徴。主題によっては上野自身が学者という立場を超えてアクターとして運動に関与している場合もありますので、アクチュアルな「時局発言」的な内容を含むものとなっています。

そんなわけで「書物を読みながら、走りながら、書いた」という文章がテーマ別に七つの章に括られ収録されています。〈社会を変える〉〈戦争を記憶する〉〈3・11以降〉〈格差社会のなかのジェンダー〉〈結婚・性・家族はどこへ?〉〈障・老・病・異の探求〉〈ことばと文化のゆくえ〉。

何よりもブックガイドとして有益だと感じました。民主主義について、憲法について、原発について、格差社会について、結婚について、介護について、……様々な角度から様々な人々の活動に目を配りながら、道標となりそうな書物を提示していきます。

3・11の経験から語りおこして、マリー・キュリーの次女エーヴ・キュリーが著した『キュリー夫人伝』を紹介し、小林エリカの小説『マダム・キュリーと朝食を』や『光の子ども』へと話を展開したり。
斎藤環の『オープン・ダイアローグ』を取り上げて「終わりのないオープンエンドのプロセス」と指摘したあとに、ハーバーマスの熟議民主主義を想起したり。

「自殺稀少地域」を調査した本として岡檀(おか・まゆみ)の『生き心地の良い町』に着目しているのも興味深い。自殺稀少地域の特徴は「もともと移住者の多い地域であること、いろんなひとがいて、つながりがゆるく、集団同調性が低く、好奇心は強いが飽きっぽい……などの発見を疫学的エビデンスとこくめいなフィールドワークから明らかにしていく」。つい読んでみたくなる紹介文です。

フェミニズムに関しては、盟友・岡野八代の著作を紹介している文章が力強い。近代リベラリズムの個人観は「個人的なことは個人的である」だったが、フェミニズムは「個人的なことは政治的である」という命題に言い換えた。そのように言明して、そうした文脈で岡野の『フェミニズムの政治学』を高く評価しています。その理論的貢献は「公的領域」のジェンダー中立性神話を崩すことにあったのだと。

あるいは岸政彦の『断片的なものの社会学』。「現実は『解釈されることがら』よりも、もっと豊かであることに、あらためて気づかせてくれる」と評してその読書の快楽へといざないます。そして社会学者としての心構えを再確認するくだりは含蓄に富むものです。

社会学者とは、自分のなかよりも他人のなかに謎があると感じて、そのもとへ赴くおせっかいな職業だ。膨大な資料や記述を目の前にして、「で、それで?」という問いに立ちすくむ。だからむりやりつじつまを合わせるのだけれど、つじつまの合わないことがたくさんとりこぼされることを覚えていなければならない。そして自分が書いたものよりももっとたくさんの書かなかったことを、覚えておこうと思う。(p192)

本を読みながら、本には書けなかったことをあらためて思いおこす。研究者にとってはそれもまた読書がもたらしてくれるひとつの知的営為ということになるのでしょう。

このほか加藤周一の著作をめぐる随想や「石牟礼道子、ことばの世界遺産」と題したコラムも素晴らしい。運動は勝たなければ意味がない、勝たない運動は続かないという指摘には納得させられますし、当事者研究とは当事者が専門家から研究をうばいかえすものということばも印象に残りました。

先頃、中日新聞に発表したインタビュー記事が批判を浴びたのは未だ記憶に新しく、私も違和感をおぼえましたが、本書に関しては知に関する良き水先案内として意義深い一冊だと思います。

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